「不食・人は食べなくても生きられる」 山田鷹夫

  • 著者は自らの肩書きを「実践思想家」と名乗る。また、知人からは「極め美学の鷹さん」と呼ばれる。
  • 動物のクローン化を行う際、一つの細胞からそれ以外の細胞が誕生することはあり得ないとされていたが、一度細胞を飢餓状態に置くことで、それが可能になった。細胞に飢餓を与えると逆進化が起こる。
  • たった一個の細胞でさえ断食でものすごい能力を手に入れる。60兆の細胞を持っている人間が不食を行うと、身体全体の能力はどうなるか。超能力に到達できるのでは。
  • 「クラゲの逆成長」という報告がある。海水中に食物をなくして絶食状態にしておくとクラゲは触手や体が次第に吸収され退化し最後には発生初期の胚子のような細胞の塊に逆戻りする。再び食物を与えると、元の生体に戻る。これを生物的な時間の逆行という。人間も同じように断食、節食によって体の組織細胞が更新されて一種の若返りができることは理論的にも実際的にも確か。
  • 著者は川魚を絶食状態において、何日間生きられるかの実験を行った。その結果、最長で307日間を記録した。おそらくうまい飼育方法を見つければ水だけで生き続けることができるはずだ。
  • 不食の聖女テレーゼは1898年に生まれた。20歳の時に事故によって失明・半身不随になるが、熱烈な祈りを捧げた結果、視力が戻り、手足も一瞬によって癒される。テレーゼは祭壇に供えた小さな餅を飲み込む以外は食べ物を完全に絶つ。ドイツ・プロテスタント新聞主筆フリッツ・ゲーリック博士は「カトリックの詐術を暴いてやる」とテレーゼのもとに行ったが、かえってすっかり感動し、彼女の伝記を書くようになっている。
  • テレーゼを尋ねたヨガの聖人ヨガナンダはこう聞いている。「あなたは12年間もの間、それだけで命をつないだわけではありませんね?」テレーゼは答える。「はい、私は神様の光で生きているのでございます」これを聞いたヨガナンダは「なんとアインシュタイン的言葉であろう!」と感動した。
  • キリストは「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つのコトバによって生きるものである」と言った。テレーゼの行為はこの真理を実証しようとするものだとヨガナンダは言った。テレーゼは「見えない神の光によって生きられることを証明するためでございます」と答えた。
  • 1927年7月14日から7月28日までの間、テレーゼが本当に絶食状態なのかの実験が行われた。四名の看護婦が監視し、15日間の不食不飲を達成した。体重の変化もなかった。
  • ヨガナンダはテレーゼにこうも尋ねている。「絶食で生きる方法を人に教えることができますか?」テレーゼは「いいえ、それはできません。神様がお望みになりませんから」と答える。さらに絶食50年のヨガの行者ギリバラに同じ質問をしている。ギリバラは「できません。私は先生から、この秘密を漏らすことを硬く禁じられている。創造に関する神様の計画に干渉することはできない」、「では、あなただけが何も食べずに生きてゆけるよう選ばれたのは何故でしょう」、「人間が霊であることを証明するためです。人間は霊的に向上すると食べ物ではなく『永遠の光』によって生きられることを証明するためです」
  • テレーゼとギリバラ、カトリックとヨガという違いはあっても神が不食の公開を望んでいないというところで一致している。
  • 現代、人間という肉体を通しての学びは十分に積んだ。人間としては飽和状態に入った。だから、神は僕に不食の公開を許可した。今求められる人間としての最終体験は人間でありながら、人間を超えること。それを可能にするツールが不食だ。
  • 反論として現在も食料を口にできないで死んでいった例が無数にある。彼らはなぜ死んだのか。人は飢餓で死ぬのではなく、飢餓の恐怖意識で死ぬのだ。あるいは、人は飢餓で死ぬと絶対的に思っているから、飢餓で死ぬのだ。
  • 日本の戦後の繁栄は食欲に主権を譲り渡したことだ。日本社会は食欲によって機能している。日本人は食欲によって拘束されている。食欲という檻に閉じ込められている。それは、アウシュビッツ以上の悲劇的な監獄だ。
  • 地上最大の芸術的な洗脳、それが「人は食べなければ生きられない」である。
  • 豊かな食生活の日本人の体格は大きくなった。食は成長を進める。成長を早める。死期を早める。老化を促進する。つまり、栄養の摂取をコントロールし、成長しない食事を生まれてから摂取できたなら、理論的には死は訪れないということになる。
  • 一生のうちに食べられる分量は決まっているという話がある。それを食い尽くしたらもう死ぬしかないという。食事をしたら疲れが生じ、老いが進み、病気となり、死に至る。
  • 理論・理屈というのは証明された事実のことである。常識は発見に役立たない。論理的な思考は新しい実験には役立たない。
  • 食べないことは苦痛ではなく喜びだ。胃腸が空であるときの爽快感を現代人は知らない。
  • 食休みという言葉があるように食は疲れるのだ。エネルギーを取るだけならば、休息は必要ない。
  • 空腹は苦痛だと思われがちだが、意識して自分を空腹の状況下に置くと、空腹に慌てることがない。脱力感は訪れるが、やがて順応し、脱力感も空腹感もなくなる。
  • 不食が何故可能かは説明できない。説明せよと言うのなら、こちらから聞きたい。なぜ心臓や肺は死ぬまで、休むことなく無限運動を繰り返せるのか。なぜ太陽は繰り返し、昇天しては沈み、休暇がないのか、答えてもらいたい。
  • 過剰な食は病気を生む。貧困な国は病気が少ないだろう。不食を始めてから持病の腰痛が治った。飢餓で、余剰な細胞が存続できなくなったということだ。痛みの細胞が縮小、消滅したということだと理解した。これが不食による病気治癒理論だ。
  • 不食を始めると睡眠時間は減少する。食べれば消化のために胃腸に血液が総動員され、脳が酸欠状態になる。食べなければ肉体は疲れないので、肉体の疲労を睡眠で解消する必要がないからだ。
  • 不食は人を進化させる。人類の歴史で最も進化した二人はイエス仏陀。この二人に共通しているのは、イエスは荒野での四十日四十夜の断食に耐え、仏陀もそれに匹敵する期間断食を行った。彼らに能力があったから断食に耐えられたのではなく、断食を達成したから能力を得たのだ。イエス仏陀とそれ以外の人間の違いは食べたか食べなかったかにすぎない。現在の日本は食欲に毒されているので、三人目の神も仏も登場しない。
  • 車に一週間放置した変色していて、糸を引いているマグロを食す実験を行った。結果は顔が真っ赤になるくらいで、それだけで終わった腐ったものは食べられないというのも嘘だ。
  • 熊の胃は貴重で珍重されていた。病気は熊の胃で治すと考えていた。半世紀前の日本は「健康は胃にある」と知っていたのだと言える。胃を健康にすれば病気は消えるということを知っていた。
  • 「何をどれだけ食べたか」「どれだけお金を持っているか」「どんなセックスをしたか」。日本にこの質問に明快に答えられる人はどれだけいるだろう。その答えが美しいか否かに関わらず、答えられる人がいないのがこの国を滅亡に導いた。あらゆる分野のリーダーがこの三つに明確に答えられるようになったら日本は復活する。
  • 人間は食うからこそ生きるために苦しむ。人間は食うからこそ、老いる。人間は食うからこそ、病気になる。人間は食うからこそ、死ぬ。食わなければ、生きる苦しみは消える。食わなければ、老いることはない。食わなければ、病気にはならない。食わなければ、死には至らない。
  • これまで人類の歴史の中で「人は食べずに生きられる」と言い切った存在はいただろうか。もしいないのであれば、人類で最初に不食を宣言した人間であるという、栄誉を自らに与えたい。