「テクノボン」 石野卓球・野田努 94年4月20日発行

  • テクノポップ現象のほとんどは、スノッブな特権意識を満足させるためのアイテムとして、ニューウェイブを浪費するだけだった(だから、現在の20代後半〜30代後半の人はニューウェイブ意向の音楽に興味ない人が多い)
  • テクノを嫌いな人はテクノを音楽とすら認めない。コンピュータに身を委ねた音楽的堕落だという。テクノはジャンルとしての輪郭がぼやけていながら、好き嫌いだけははっきりしている変なジャンル。
  • 古代から続く楽器史において、シンセサイザーは物凄く異質だ。電気がなければ役立たずなのだから。
  • イメージとしての未来が商品として爛熟したのは50年代アメリカでハリウッドでSF映画が大量に作られたり、ロボットが家電メーカーのマスコットになったり、50年代から60年代にかけて未来という商品が大量生産される。
  • テクノポップは日本独自の呼称で、海外ではエレクトロ、ないしはエレクトロポップと呼ばれていた。ディーヴォは「アトミック・ポップ」、クラフトワークは「スペース・ブギ」、YMOは「シンセ・バンド」と呼ばれた。
  • 日本の「テクノポップ」は音楽を媒介にしながら音楽以外のものに貪欲な動きだった。対してデトロイトで生まれた「テクノ」はあくまで音楽的な言語で、テクノポップとテクノではまず意味の単位が違う。
  • パンク以後にイギリスでニュー・ロマンティクスという元パンクの連中が作ったムーブメントがあった。みんな元パンクでパンクの前はソウル・ボーイと呼ばれるダンス・フリーク。ソウル・ボーイとはソウルで踊り、ロキシー・ミュージックデヴィッド・ボウイにに憧れていた連中。彼らはクラブ・カルチャーを復権させた。
  • ベッドルーム・テクノの元祖ダニエル・ミラーは「シンセサイザーは手の動きを経由しないから、脳と音がダイレクトにつながって、より人間的だ」と発言している。優れた楽器の奏者がなぜ素晴らしいかと言うと、手の動きという制約から自由で脳と音がダイレクトだからだ。しかし、エレクトロニクスは熟練に関する苦労を介さずに、脳と音を繋げてしまう。
  • 打ち込みが人間的でないというのは、電気炊飯器で作った飯は食えないと言うのと同じ。そもそも、電子楽器は生楽器の代用ではなく、別々の楽器。それぞれ違う価値がある。
  • テクノの特性として、ヘタな奴の方が面白いということがある。音楽的に無学なやつ、テクニック的に劣っているやつの方がユニークな作品を作る方が多い。電子楽器は素人に持たせるに限る。
  • 83年にヤマハのDX-7が発売された頃にエレクトロ・ポップは低迷している。シンセがアナログからデジタルに変わり、エレクトロ・ポップは魅力を失っていく。クラフトワークもDXの音を採用して死んだ。
  • 80年ぐらいはノイズという言葉が時代のキーワードだった。不要であり、無意味であり、社会的な邪魔者であるノイズに寄せられた先入観こそが病理である、とノイズカルチャーは言った。
  • エレクトロはTR808、アシッド・ハウスはTB303が主な機材。
  • 80年代の半ば以降に発見されたデトロイト・テクノという音楽は当初「ピュア・ハウス」と呼ばれていたが、彼ら本人たちは自らの音楽を「テクノ」と呼んだ。
  • アイム・ベリィ・オプティミスティックとホアン・アトキンスは言った。デトロイト・テクノゴッドファーザーと呼ばれる彼はポップス産業のレベルでは何一つ成功してない。
  • KLFは「このままではロックは金持ちの豪華な装飾になってしまう」と危惧した。彼らは支離滅裂で荒唐無稽な行動を繰り広げたが、そこに制度化されたポップ・カルチャーへの辛辣な批判精神を見つけるのは困難ではない。
  • 「果たしてジミ・ヘンドリックスの後で、どれだけギターの可能性が残っているのか、疑問に思うようになったのです」(エドガー・フローゼ)
  • クラフトワークは「我々は機械に歌わしている」、「時代の神はテープレコーダーである」と言った。
  • クラスター&イーノは電子音を人工的風景のためでなく、自然や精神の風景を表現するために電子音を選んだ。これはクラフトワークとはまったく違った冒険だった。
  • イーノのアルバム「ディスクリート・ミュージック」にはライナーに「この作品はなるべく音量を下げて聞いてくれ」と書いてある。彼はただ音量に身を委ねるだけが音楽の聴き方ではなく「聴くことも、無視することもできる」という音楽の聴き方を提示した。
  • 最初、アート・オブ・ノイズは正体不明のバンドとしてデビューした。初ライブの宣伝を大々的に打って、みんなの興味を煽ったが、内容はレコードが回ってダンサーが踊っているだけだった。
  • フライング・リザーズのデヴィッド・カニンガムは当時席捲していた電子楽器信仰、最先端思考とはまったく逆の立場を取った。ダンボールをドラム代わりに使い、ラジカセで録音し、風呂場でエコーを加えた。レコーディングの解釈そのものから変えてしまった。
  • レジデンツにかかるとシンセサイザーすらオモチャにすぎない。「パフー・パフー」って鳴らすオモチャもシンセもギターも自分たちの声も、音を鳴らすものならみんな同じ次元。ひいては自分たちの存在までオモチャだ。
  • ジョイ・ディヴィジョンのボーカリストイアン・カーティスは80年5月18日に自殺した。
  • サイキックTVスロッビング・グリッスルというキワモノ的パフォーマンス集団が前進になっている。
  • デア・プランは85年にシングル「Fette Jahre(脂の重なった年月)」、87年には「Es Ist Eine Fremde Und Seltsamewelt(これぞ見知らぬ奇妙な世界)」をリリース。
  • リヴォルティング・コックスはアルバム「Big Sexy Land」をリリース。
  • ワウ!ミスター・モドは優れたアンビエント・ミュージックをリリースしていたレーベル。
  • ノイエ・ドイッチュ・ヴェレ(ドイツのニューウェイブ)。
  • 日本の若者がとりたてて音楽をやるわけでもないのに部屋にギターを置くのと同じで、ドイツでは普通の若者の部屋にごく自然にシンセが置いてある。シンセが日常的な風景に溶け込んでいる。
  • 78年に作られたクラブ「ビリーズ」は、入る条件ができるだけ個性的な格好をしてること、だった。
  • 「ラブ・パレード」は毎年7月4日にベルリンで開かれるレイブで、昼間にサウンド・システムを積んだトラックを何台も出し、町中を踊りながら歩くという、異色のレイブ。
  • 凶悪犯罪や政界汚職事件の報道になると、必ずと言っていいほど808ステイトの「キュービック」が流れた。湾岸戦争でも「キュービック」。
  • ナチスヒットラーの演説のさいに導入した音響システムは、地面にスピーカーを埋め込み、約20ヘルツの音波を出すというもの。それで聞き手の高揚感を誘った。
  • 「ポポル・ヴー」とはマヤの「死者の書」のこと。
  • 「ZANG TUMB TUUM」とはイタリア未来派の騒音音楽家ルイジ・ルッソロがマシンガンの音を表現したときに用いたフレーズ。