「トンデモ創世記2000」 唐沢俊一・志水一夫 99年08月27日発行

  • オタクは、モノの質を問わない。質が要求されるのは、そのモノを語る際の視点である。オタクの出現が世界の文化シーンに衝撃を与えたのは、実はこの凄まじくユニークなモノに対する対峙の仕方であった。
  • SF作家のスタージョンは「全ての物の九十%はクズである」と言った。この九十%を愛せるオタクこそ、最も多く世界を愛する能力を持った人種なのである。
  • 「すべての怪獣映画はガジェット(クズ)である」と大の怪獣映画ファンであるジョン・ランディスは言った。
  • 文芸坐地下は夏休み時分になると「スーパー特撮大全集」というタイトルで、ほとんど日替わりで日本の特撮映画を三本立てで上映していた。まだ家庭用ビデオのない時代、滅多に見れない白黒の映画からゴジラや獣人雪男みたいなB級までやたら数を見せてくれた。
  • 映画館の中でフラッシュ焚いている奴や写真をバチバチ撮る奴がいた。
  • 「怪星人の魔城」という映画には「空飛ぶ円盤などを見ると言うものは、百姓や猟師といった無教養な奴ばかりです」と国会で議員が発言するシーンがある。
  • 大阪の方にある日本で初めてのスター・ウォーズファンクラブは、作った会誌をジョージ・ルーカスに送って公認してもらおうとしたら「勝手に作るな。500万払え」と言われた。
  • 岡田斗司夫とか竹内義和吾妻ひでおも「林寛子林寛子」と、何故かオタク心をくすぐるものがあった。当時のSFマガジンのファン投書も「林寛子林寛子」だった。岡田斗司夫は「女には2種類いる。林寛子と、それ以外」と言っていた。
  • キャンディーズのおっかけはすごかった。知り合いのミキちゃんのおっかけは、毎日夜に最後ファンが解散するのはミキちゃんの家の前。ファンがワイワイと家の前にいると、ミキちゃんが玄関に出てきて「皆さんもう遅いですからお帰りください。今日はありがとうございました、おやすみなさい」って。毎日そうで、文字通りのおっかけ。
  • コメットさんの撮影スタッフに潜り込んで彼女の泊まっている宿舎かホテルに、そこの壁を伝わせて、録音部から失敬してきたマイクで彼女の寝息をマイクで取った。「可愛いんだ」って言うからどれくらいなんだって聞いたら「寝息だけでオナニーできるほど、可愛いんですよ」と。
  • コリン・ウィルソンの「オカルト」で「オカルト・ブーム」と言われる前は「四次元ブーム」という言い方がされていた。
  • 札幌にアニメ、SFオタクのメッカとなった「リーブルなにわ」という書店があって、空いたスペースに模造紙の伝言板を張って、お客さんの意見交換の場にしてた。それこそ最初はデートの約束だとか読書感想が書き込まれていたけど、徐々にアニメマニアのものになりはじめて、自分で選定した「手塚治虫ベストテン」とか、「星新一作品ベストテン」とかを書く奴が出てきた。それを見た角川書店の若い営業マンが、あまりの密度の濃さにビックリ仰天した。「これは若者たちの新しいコミュニケーションの形態です。これを縮小して本にしましょう」と提案した。結局実現しなかったのだが、その営業マンというのは角川歴彦
  • ヤマトというとトラウマで、「ヤマトから入った」と言うと一時は笑われた。
  • ガンダムはみんなハマッた。始まった頃の「LaLa」の漫画家が三、四人ハマッていてガンダムのキャラクターが脇に描いてあったりする。「シャア少佐って三回言ってみろ」とか。
  • ビデオは初期、J9があれば十年くらい新機種が出ても大丈夫だって言われていた。
  • SFマガジン山本弘の作品が掲載されていて、みんなが「山本弘はうまい」って言っていたが、星新一新井素子を「これからはこういうのがウケるんだ」と押した。それで一時代を築いた。
  • 札幌で同人誌即売会で、島本和彦が一番女性にモテていた。女の子が来ると島本和彦は「出てます」って書いて、喫茶店に行って女の子とお話してから帰ってくる。で、次の女の子が来ると出ていって、また次のって繰り返す。だからそこのブースだけいつでも空いてる。
  • 80年代前半に東大の女の子二人がフランクチキンズというパンクバンドを組んで、イギリスで人気が出てて「あんたも忍者、私も忍者、目潰し投げてドロンドロン」って歌が流行っていた。
  • 一時期、宅八郎ロフトプラスワンの料理長だった。料理の評判が非常に悪く、客だけじゃなくスタッフにも不評。何故かと言うと「買出しに行ってこい」と言って「イケてる豚肉一キログラム」と書いてあって、買ってくると「何だこれ、イケてないじゃないか」と怒るから。
  • 昭和三十三年、吉原が無くなった年にゾロゾロと第一次オタクになるってことは象徴的に繋がっていると思う。そこら辺りで子どもから大人へと変態できなくなり、ウーパールーパーみたいなネオテニー幼形成熟な人間が出てきた(唐沢俊一の説)。
  • スケプティクスの幹部は否定派で、一般会員はトンデモな人が多い。これは最初に会員募集を新聞でした時に「科学的な研究をする会です」と言ったんだ「日本サイ科学会」の新手が結成されたと思って集まってきた。最初にオカルト批判の会であることを言わなかった。「科学的な研究」と言えばわかるだろうと。
  • オカルトにハマッている人と普通の科学者との間には言語障壁がある。科学的にあり得ないって言われると、トンデモ系、超常系の人たちは喜ぶ。科学を超えているんだ、これは奇跡なんだと。
  • UFO研究家の大田原治男は、頭痛がすると思ったら耳からUFOが出てきた。一緒にいた人が「大田原さん、今あなたの耳から黒いUFOが出てます」と伝えた。
  • パプア=ニューギニア事件に関して、メンゼルさんていう当時否定派の代表格だった物理学者の批判文。円盤が滞空してたんで、牧師さんが手を振ったら、デッキの上の人が手を振り返してきたっていう話を、牧師さんが「睫毛」を見間違えたって言っている。
  • 渦巻竜二郎は「天皇陛下もご覧になっているんだから、これを認めない奴は非国民だ」と言っていた。
  • ワープロで「親指シフトは文化です」とさんざん富士通が言っておきながら、パソコンの方には全然活きてなかった。
  • 大槻教授は「(笑)」ではなくて「(ジョーク)」と書く。
  • ひょっこりひょうたん島」でドン・ガバチョが「ハタハッハ」と笑うのは、原稿に「ハッハッハ」と書いてあったのを台本のガリ版切りの人が間違えたのが始まり。
  • 昔はいやしくもSFファンであれば、ファンタジースペースオペラ、ハードSFから科学解説書まで、その周辺の物を全部読んだ。早川の銀背全部読んでるとか、創元推理文庫をナンバー1から読んでるとか、そういうことを誇ってた。
  • どういう手段かわからないけど手に入れたっていう自慢話が高じると、今度は嘘をつく奴が出てくる。今から二十年くらい前に名前出せないけどTさんがPUFに作った特撮教室っていうのがあって、私は特撮監督である、と。私はあまり知られていないかもしれないけど、日本からの注文で韓国で撮っている、とかいって。「ネッシー対クッシー」とか、そんな映画が延々とかかれていて。「大怪獣ザゴロス」とか。
  • スター・ウォーズ」がブームの時、スター・ウォーズチキンレースってのが流行って、何回見ることができるかっていう。中には五十回見たバカもいた。
  • ゴジラのぬいぐるみを造った人が着心地を試すために、夜中に怪獣のぬいぐるみ着て歩いてたっていう。それが目撃されて、環八にゴジラが出現したという話が広まって「環八ゴジラ」と呼ばれた。
  • 南極探検隊が船の上から怪獣らしきものを目撃して、それが新聞で「南極ゴジラ」って命名された。
  • ベータとVHSが競っていた時に、VHSは、愛染恭子の本番ビデオをオマケに付けて「テレビじゃ見られないものが見れますよ」って言って売った。
  • 「本当に見たい映画は、今見ないと、見られないことがあるから。映画を見るためには悪いことかもしれないけど、お父さん、お母さんからちょっとだけお借りなさい。内緒でお借りなさい。その時見た映画があなたの人生を変えるかも知れないんですよ」(淀川長治