「憲法九条を世界遺産に」太田光・中沢新一 06年08月17日

  • 太田光テリー・ギリアムと対談した時に「あのシーンはこういう意味なんですよね」と聞き「いや、それは違う」と言われ「僕が解釈したことにあなたがとやかく言う筋合いはない」と言った。ギリアムにとってはそれは誤解なのかもしれないが、誤解こそが個性で、もっと言えば誤解に意味がある。作者の意図と違うところで感動することはいくらでもあるし、その幅が作品の力である。
  • レーニンはシベリアを電化しようと考えた。シベリアに送電線をめぐらせ、人々の暮らしを電化すると同時に、電線の電磁波力で、シベリアの厳しい気候を温暖化させて、シベリアで農業ができるようにしようと、本気で考えていた。
  • 人は愛情が強いと擬人化しようとする。物に対する愛着も擬人化で、犬との散歩も擬人化。宮沢賢治は動物たちを擬人化して童話に登場させた。
  • マッカーサーは日本の精神年齢は12歳と言ったが、その年頃の子どもはよく「世界を凍らせるような」真実を口にする。日本はそういう存在として人類に貢献すべきだ。
  • グールドという生物学者が、生物進化は生物が競争して切磋琢磨している状態の中で行われてきたけれど、そういう競争に入らないでゆっくりと成長を続けた生物、いつまでも幼児型を保ちつづけた生物が、哺乳類としてのちのち発展することになったと言っている。
  • 憲法九条は当時のアメリカ人の思想のとてもよいところと、敗戦後の日本人の後悔や反省の中から生まれてきた良い所がうまく合体している。たいてい良い物は何らかの合作である。例えば仏教はインドで生まれてから日本に伝わるまであらゆる人の手が入った合作である。
  • アメリカの五大湖からニューヨーク州の辺りにかけて、かつてイロコイ族という巨大部族が住んでいた。イロコイ族は色々小さい部族で成り立っていて、十一世紀頃は部族同士血で血を洗うような戦いで続いていた。その乱世に平和を説く人が現れて部族を統合するイロコイ連邦を作る。そして、イロコイ長老会議で永久に平和を維持しようという「イロコイ連邦憲章」が生まれる。このアメリカ先住民が作った「イロコイ連邦憲章」の精神の中には、日本国憲法にそっくりなところがいくつもある。
  • お寺や修道院から遠からぬ場所に市井の人が住む村がある。そこでは喧嘩したり、嫉妬したり、誰が損したとかそんなことばかりやってるけど、ふと丘の上を見上げるとそこにお寺や修道院がある。そこでは血の滲むような努力、断食、エゴを乗り越えて、利他心に生きようと頑張ってる人達がいる。ふと見上げた丘にそういうことをしている人がいるだけで、世界の姿は変る。
  • イエス・キリストは十字架の上で「このまま私を見殺しにするんですか」と神に訴えたけど、神は沈黙したままだった。神はいつだって沈黙する。
  • 神々が沈黙した時に、それでも喋りつづけるのがコメディアン。
  • 紀州で大豊作だったミカンが嵐のために江戸に運べず、価格が大暴落した。紀州では安く、江戸では高い。そこに目をつけた紀伊国屋文左衛門が嵐の中ミカンを運んで大もうけした。
  • 上野の不忍池の辺りには河豚職人が河豚の碑を立てたり、スッポンの料理人がスッポンの碑を立てたりしている。
  • インド人は些細なことで喧嘩をするが絶対に手を出さない。テープレコーダーを盗まれた時に「どうなっているんだ」と胸倉を掴んだら、盗んだ本人から「そんなことをしてはいけない」と言われた。
  • 五木寛之の「青年は荒野をめざす」という小説には、ナチスユダヤ人の少女の皮を剥いでランプのシェードにした。そんな残虐なことをやった連中の演奏した音楽に、ユダヤ人が感動してしまうという場面が出てくる。
  • 四十を過ぎてから感受性が鈍ってくるが、死者と対話をすると取り戻してくる。