「ビックリは忘れた頃にやってくる」高橋章子 96年06月10日発行

  • 最近驚いたことをアンケート葉書に書いてもらうコーナー「ビッグラゲーション」
  • 天井に虫みたいな、もしくは鼻くそみたいなものが、いっぱいプチンプチンとついているのだ。恐怖。凍りつきゾゾメク背筋。萩原朔美が席に座って消しゴムこすってカスを大量生産し、丸めてピーン丸めてピーンって跳ね飛ばして、天井にくっつけてたらしいのだ。
  • 高校生の時、母親に「バイトしたいなんて、男を作りたいと言ってるのと同じだ」といわれた。
  • 77年よりも前から、何かを求めて、若い読者が編集部にずいぶん来ていた。十代後半から二十歳くらいまでの人。この雑誌の人たちだったらわかってくれるって感じたのか、何かの匂いを感じたのか、みんな放課後にバラバラに一人でやってきてた。ちょっとノイローゼっぽい子とか、それから身体障害者の子も来てた。
  • 寺山修二の言ったことで覚えているのは「今ね、ちょっと僕、風景っていうものをね、何十センチか上から見る実験してんの」
  • ビックリハウスは「あんたのとこの雑誌には政治批判が全然ない。政治批判がないようなのはパロディじゃないんじゃないか」や「言葉遊びというが単に言葉を壊しているだけ」、「若者が政治に対して関心がないところを逆撫でしてみたり、日本の言葉を混乱させてみたり、そういうことの先導を取っているということに関して、編集長として責任はどう考えているのか」と批判された。
  • 酒の席で仲良くなった遠藤周作に原稿を依頼すると「うーん、もうちょっと遊んでからね」と断られた。
  • 原宿にあった「カル・デ・サック」という店は溜まり場になっていて、鈴木慶一やYMO、立花ハジメや、鈴木茂糸井重里仲畑貴志などがいた。
  • 色んな写真を切って貼って、奇抜でヘンなコラージュを投稿してくるページ「面コラ」。和田誠が審査員。
  • 音版ビックリハウスとして制作した曲の曲名は「ブリリアントなクリスタルカクテル」。
  • 向田邦子は編集の人がくるときゅうりとかカンピョウとかオココとかしてない全部海苔巻の寿司を取った。これをつまみながら話すと一番お腹が膨らまなくて、ちょっと口寂しいときにすごくいい。
  • 大林宣彦によると「映画にテレビ俳優を使ったら、瞬きの回数が多すぎることに気づいた」。映画館のでかいスクリーンで、普通にバタバタと瞬きされたら客席に向かって風ができると。テレビなんかのコンパクトな画面だと気にならないが、スクリーンになると違う。
  • イメージフォーラム主宰のかわなかのぶひろは「おすぎとピーコに抱きしめてもらえなかったら、お前の人生終わりだと思え」と言った。この人が伸びていくかどうかっていう本能的チェック感覚が鋭いから、伸びない奴は抱擁しない。
  • かつて村松友規が主催する「ムラマツ宴会」があった。メンバーは糸井重里など。
  • 「ビックリの芥川賞」を合言葉に、エンピツ一本で一行から十枚の文章を募集する「エンピツ賞」。
  • 大槻ケンヂは「ビッグムーン大槻」という名前でビックリハウスに投稿していた。
  • 常連ビックリハウサーの名前。阿久津達也、小野寺紳、大山正彌、レオナルド・オオノ、タバスコ・ミミズ、たんぱね隆一、テクノポリオ、正夢真ニ、メーテル阿素湖、常磐響
  • 新玉川線が出来た理由。あそこは地下深いところを走っている。核が落ちた時に、政界の人や財界の人が防空壕にするためのもの。