「喪男の哲学史」本田透 06年12月25日発行

  • バラモン教は古代インドの宗教。カースト制度を特徴とする。バラモン(司祭)が最も偉く、クシャナ(武士)、バイシャ(庶民)、スードラ(奴隷)とつづく。死んでも永遠に身分は変わらないとされている。バラモン教の階級制に反発したところから仏教やジャイナ教などの新宗教が生まれた。
  • シッダルタは若い頃から国を捨てて出家したがっていた。出家とは、現実社会の縁を全て捨てて、修行者としての生活に入ること。父親の王はシッダルタに酒池肉林のハーレム生活を与え、春・夏・冬と季節専用に別の建物を立てて住まわせ、出家を思いとどまらせようとした。クシャトリアの王子様だから女は選り取り緑で、当然奥さんもいた。父親は現世快楽だけを追いかける人間に育てようとした。
  • シッダルタは「年老いる苦しみ」「病の苦しみ」「死の苦しみ」を目の当たりにし、「生・老・病・死」の「四苦」を発見した。
  • シッダルダはこの世の心理を知り解脱した。「輪廻」の輪から永久に自由になり、死んでも永遠に続くカースト制度という無限の地獄からシッダルダは抜けた。「俺は輪廻転生という『現実』から一抜けた!」と宣言したわけで、これによってシッダルダは「ブッダ」と呼ばれることになる。
  • インド哲学では、人間はアートマンという実態を持った永久不変の「現実」であると考えられていた。だから人は死んでも輪廻転生の輪から永久に逃れられない。しかしシッダルダはそれを否定した。アートマンは存在せず、輪廻もない。「諸行無常」だとした。自我も永遠不滅ではなく全ての事象は他者との関係性によって成立していて、これが「縁起」という。シッダルダは全て幻想であると主張した。つまり「死んだらそれまでよ」宣言。
  • 結局、インドでは仏教は廃れて、カースト制度を擁するバラモン教ヒンズー教に形を変えて存続した。ブッダもまたバラモンの神々の一人にされ、改良され善行を積めば来世で上のカーストに行けるとされたが、生きている間は上に昇れないカースト制度は残った。何故廃れたかというと「全てが幻想だ」という思想は人々に大いなる不安を与えるため。
  • ブッダの説いた四苦は次の四つを付け足して「八苦」となる。?愛別離苦。好きな彼女と別れなければならない苦しみ。?怨憎会苦。嫌いな相手と暮らさなければならない苦しみ。?求不得苦。モテない苦しみ。?五陰盛苦。自分自身の存在そのものが苦しみ。
  • 古代ギリシアプラトンは、ブッダの「現実は幻想である」という事実認識から「現実棄却」へは向かわず「この世は間違っている。だからどこかに本当の世界があるはずだ」と言い出し、以後、西洋哲学はこのプラトンが言い出した「本当の世界」に関する考察と妄想の歴史になった。
  • プラトンは「イデア界」という想像の世界こそが、目の前の現実よりも価値のある世界だとした。人間の知性が進歩し、想像力が豊かになったこそ、イデアという抽象世界が生み出された。
  • 例えば三角形にはまず「三角形のイデア」という普遍的な原型がイデア界に存在し、紙に描いた現実の三角形は、三角形のイデアを模倣した「似姿」にすぎず、本質ではない。つまり、人間が認識している全ての事象はまずイデアが先にあり、このイデアを具象化しようとした結果として現実の事象は現れてくる、とプラトンは考えた。目の前にいる女の子を「女の子」という名称で定義づけているのではなく、最初にイデア界に「女の子のイデア」という永遠の本質があり、それを現実に適用しようとして生み出されたのが目の前にいる女の子だというのです。
  • 「女性らしさ」「男性らしさ」の何割かの部分は本来生得的なものではなく社会的に付与されるものであることが近年のジェンダー研究によって明らかになってきている。分析心理学者のカール・グスタフユングは人間の無意識には色々な「原型」がインプットされていると主張する。例えば男の精神には「女性の原型(アニマ)」が備わっていて、女の子らしい女の子というのは、男の持っている「女の子の原型」を、現実の女性に投影することで作り上げている。
  • プラトンは現実を「洞窟に映った影」であると言う。イデア界こそが本当の世界であり、現実はイデアの影にすぎない。つまりこの世は幻影。現実と言われているのものは、実は人間の頭の中の「イデア界」のコピーにすぎない。
  • エスは、神と人間の関係を「父と子」という家族関係になぞらえた。それまでユダヤ教の神は恐ろしい「裁く神」で、厳格な律法を人間に課す存在だった。ところがイエスの考えでは「神は無力な人間を赦してくださる」ということになった。ユダヤ教の神には現代的な意味での「愛」はなかった(ユダヤ教に限らず)。イエスが最初に「神の愛」を持ち出した。
  • エスが十字架にかけられた後、キリスト教徒は激しい弾圧をされ続けた。ローマ皇帝の中には、キリスト教徒とライオンを闘わせて笑っていた人もいた。ローマ市民も楽しんでいた。こんな弾圧を長年受け続けるうちルサンチマンを昇華するどころか、逆に「現実をキリスト教で逆洗脳しなきゃ生きていけない」という方向に教団が向かったのは無理ない。
  • 「人間に上下はない」という言葉を理解せず、「人間に上下はない」と言った人間をカリスマ視して自らの「上」に置き、彼のカリスマ性を認めない人間を自分の「下」に置こうとする。ジョン・レノンブッダもキリストも全部そういう信者に囲まれた。
  • スコラ哲学とは中世キリスト教哲学。アリストテレスが人気だった。「スコラ」とは学校のことだが、「ヒマ」も意味する。神の存在証明といった言語では証明不可能な形而上学的問題を巡って延年と論争したりしていたので、後に近代哲学の祖・デカルト辺りからボロカスに罵られた。
  • いつの時代にも真の哲学者は「今までの難しい話はなかったことに」と言い出し、言語ゲーム化した哲学ごっこにリセットをかけ世界観を単純化する。デカルトは今まで誰もやらなかった恐ろしい単純化をした。「世界には精神と物体の二種類しかない」と言い出した。
  • デカルトが「世界とは物にすぎない」と定義し、それまで木や沼には聖霊が宿っているから、自然を弄る行為は罰当たりなこと、という価値観を壊した。神木だろうが何だろうが切り倒した構わないという一種のアナーキズムが、月にロケット飛ばそうが原爆作ろうがOKになり、科学万能主義時代が訪れることになる。デカルトは神と人間の関係も壊したので、恋愛の持つ機能が重大化した。つまりデカルトは「科学」と「恋愛」という新たなる近代の神への道程を示した。
  • 西洋の科学万能主義を「世界に対するルサンチマン、世界への征服欲」の発露である。一見混沌とした世界の中に一定の法則を見つけ出し、その法則を使って世界を我が意のままに支配しようとする。科学の原動力とは、魔術と同じく、現実世界に対する強烈な征服欲である。
  • デカルトの影響を受けて十八世紀フランスの学者ラ・メトリが人間機械論を唱えた。人間も肉体を持っているわけですが、肉体とはデカルトによれば「物」つまり機械に過ぎない。ラ・メトリはこの論をさらに推し進めて、精神すら脳という物質が生み出しているモノにすぎないと言い出した。デカルトの二元論の問題を、物質世界一元論で片付けた。現在まで脈々と続く物質至上主義、物質一元論の元祖がラ・メトリである。
  • 中世キリスト教時代では、人間も世界も、全ては「神」の被造物という点では同質だった。人間と世界とは神の愛によって融合していた。近代に入ると人間と世界がまず分裂する。人間は精神で、世界は物質であり、この両者には何の関係もないとデカルトは考えた。
  • 「ロマンス」という言葉は現在では「恋愛」という意味になっているが、最初は「騎士道物語」のことを意味していた。中世から近世にかけて、恋愛とは吟遊詩人が歌う騎士道物語の中だけで語られる文化だった。
  • ゲーテは「シュトルム・ウント・ドラング運動」(疾風怒濤と訳す。現代で言えばパンクみたいなもの)の旗手で、「恋愛こそが人生で最も価値のあるもの。失恋したら死ね!」と叫ぶ「若きウェルテルの悩み」が大ヒットして、ヨーロッパ中の青年たちを失恋死に走らせる。恋愛至上主義者のバイブルとなる。
  • カントは哲学における「コペルニクス的転回」を達成する。三次元世界は、人間の精神というフィルターを一度通して再構築された仮想世界なのだ、と言い出したのです。つまり「現実」とは、「物自体の世界(本当の外部世界、真の現実)」の上に、人間の「精神」が被せられた作り物の世界なのだ、と言った。
  • このような「世界もまた人間が生み出した観念なのだ」というカントが始めた哲学を「ドイツ観念論」と呼ぶ。
  • カントはこうして「人間の世界のルールは人間が作るのだ」と宣言したのだが、それでも神がいなければ、全ての人間が弱肉強食のエゴの世界に陥って荒んだ世界が訪れてしまう。そこでカントはエゴイズムを道徳律によって制御するべきと考えた。この道徳律とは、神や他人から押し付けられるものではなく、人間が自ら進んで背負うべきもの「自律」の精神だという。
  • カントに影響されたシェリングは「俺も世界も実は同じもの。世界は俺によって生気を与えられているのだ」という主張を唱えた。つまり俺が三次元に命を与えているんだというわけ。
  • シェリングの思想をもう少し穏健にしたのがヘーゲル。カントの観念論はあくまで個人レベルだが、ヘーゲルはこれを全世界に拡張した。「絶対精神」という巨大な二次元の意思が、この三次元世界を作っているのだと言い出したのです。例えば、フランス革命は人間の自由という概念が現実世界において実体化したものだと考えた。ヘーゲル哲学ではまず二次元があり、その二次元の概念が三次元に溢れてきて新しい「現実」を作り上げるというのです。
  • 普通、精神というのは個々人でバラバラに孤立していると考えられるが、ヘーゲルは人間の精神は「絶対精神」という巨大なネットワークの体系の一部だと捉えた。例えばナポレオンも絶対精神の体現者。
  • 世界には常に二つの勢力による葛藤がある、という心理をヘーゲルは見抜いた。そして、この「正」と「反」との対立を解決するべく、新たな現実=「合」が生み出されてくる。正と反から合が生まれてる家庭を「止揚アウフヘーベン)」と呼びます。
  • 科学は、異端・魔術に連なる反教会思想として厳重にマークされた。聖書の世界観を壊すような「新しい発見」など、してはならなかったからです。
  • ヘーゲル(そしてマルクス)の考え方は「予定調和論」。これは「やがて神の国が実現する」というキリスト教思想の複製。つまり、かつて「神」と呼ばれていたものが「絶対精神」や「歴史の必然」という概念に置き換わった。
  • 「予定調和論」は十七世紀ドイツのバロック哲学者ライプニッツが唱えた。デカルトが唱えた「機械論」の世界観では世界には何の目的もない。故に人間は絶望してしまう。これに対して世界には目的があるから大丈夫とするのが「目的論」で、神もそもそも目的論のために発明されたもの。ライプニッツは近代的な機械論とキリスト教的な目的論を統一するために「モナド」及び「予定調和論」を唱えた。彼によると世界は「モナド」という単位で構成されており、一見宇宙は機械論的に見えるのだが、実はそれぞれのモナドが内部に世界全体を持っているので、世界には目的論的な予定調和が保証されている。だから大丈夫という思想。
  • 1910年代にゾンバルトは「恋愛と贅沢と資本主義」という経済書を出版しました。ゾンバルトによると、元々貴族階級の道楽であった恋愛は、「贅沢」とワンセットになっていた。例えばゲーテファウストでは、ファウストがグレートヒェンの気を引くために高価な宝石を送る。あの即物的な贈与行為こそが「近代的恋愛」の本質なのだ。以後、この即物的な贅沢を本質とする恋愛が、市民社会化・近代化によって庶民階級に普及していく過程で、膨大な量の贅沢が消費されるシステム、つまり「資本主義」が発展していったと言う。
  • ルサンチマンは内面にいきなり自発的に沸いてくるものではなく、社会との関わりの中から生まれてくる。つまりルサンチマンは社会の問題であって故人の内面の問題ではない。
  • 資本主義の概念を発見したのはマルクスマルクスが現れるまで、哲学者は誰も世の中が金で動くようになっていたことに気づいてなかったのです。
  • 言語学が進むと、言語そのものが厄介な二次元の産物だとわかってきて、その結果言語で世界を全て説明できるとは考えられなくなった。ソシュールは、言語はそれ自体で独立している存在であり、現実の事象そのものをぴたりと言い表しているわけではない、そして言語の本質は「差異」と考えた。言語の役目は「これとあれとは別だ」という差異を示すこと、つまり「区別」でしかない。例えばりんごは「りんご」とか「アップル」とか呼ばれていて、みかんやぶどうとの差異を示せれば何でもいい。本当は「A」でも「ア」でもいい。ということは言語では世界を正確を言い表せない。
  • 西洋では、中世は欲望全否定、近代は欲望全肯定で、極端である。
  • フロイトが生きた十九世紀から二十世紀前半にかけて、ヨーロッパでは「神経症」という病気が流行していた。神経症は、何かこう心にモヤモヤとした不安があって、常にその不安に苛まれる。例えば、常に手が汚れているという不安に駆られて、強迫的に手を洗いつづけなければ気がすまない、というもの。
  • フロイト催眠療法によって神経症を治療する修行を積んでたが、その過程で催眠中の患者が意識下では全く覚えていない記憶を喋りだすことに気づきました。この意識に表れない精神の領域をフロイトは「無意識」と名づけた。人間の精神には、意識できる領域と、意識できない領域があり、神経症の原因は無意識の中に追いやれている観念らしい。人は不快な記憶を抑圧して無意識に封印してしまう。
  • こうして、それまで「精神」として単純に捉えられていた人間精神のモデルを、フロイトは<意識>と<無意識>という二つの領域に割った。その後さらに発展し、無意識の基盤になっている領域はエスとかイドと呼ばれるようになり、意識側の基盤になっている領域は<自我>と名づけられる。
  • エスは快楽原則によって動く本能に近いもの。自我は逆に現実原則に従おうとする。エスの思うがままに生きると、社会に適応できない。例えばエスがモテモテ王様ハーレムで暮らしたいとしても、現実にハーレムを作ろうとすると、2005年に世間を騒がせた監禁王子のように事件の主犯になってしまう。これは社会が彼を「モテモテ王様ハーレムの主」として認めないから。これが現実原則、つまり社会のルールである。だから自我は何とかして現実原則と快楽原則の折り合いをつけようと、あれこれ知恵を絞って行動する役割を担っている。「脱オタしてお洒落な服を着ればちょっとぐらいモテるんじゃないか」とか、そういう折衷案を考えて実行するのが自我の仕事。
  • 西洋哲学が抱えてきて世界対精神という難題は、人間の精神構造そのものの投影だった。元はといえば現実原則とエスの対立から始まっている。働きバチは死ぬまで働くことが自己実現だが、死ぬまで働けといわれて悩み、革命まで考えるのは人間だけ。人間は他の動物と比べて過剰なエスを抱えている。「二次元」とは、人間の心の中に宿った、過剰な欲望・過剰な観念・過剰な感情が生み出した世界。大脳を発達させすぎたために、単に動物として生きるだけでは収まらなくなった過剰なエスを持ったからこそ、人間は自我を二次元と三次元に分立し、この両者の弁証法的対立の繰り返しによって文明は異常に複雑なレベルにまで発展。だが同時にエスは人間を苦しめつづける元凶でもある。
  • フロイトは過剰な欲望、現実と直接繋がらない妄想を生み出す欲求に「リビドー」という名前をつけた。リビドーとは快感を求めるエネルギー。フロイトは当初、このリビドーの本質を「性欲」だと考えた。前期フロイトの理論は「汎性欲論」とも言われている。
  • 「人間は快楽のために生きている」という言ってはいけない本当のことをフロイトは言い出した。「人間は口では道徳だとか愛だとか神だとか言っているが、頭の中はセックスのことだけだ!」と言い放った。フロイト理論はセックスピストルズの一兆倍はセンセーショナルだった。
  • フロイトは「人間のリビドーの発達は<口唇期><肛門期><性器期>という段階を経る」と考えた。
  • 何故フロイトがこれほど極端に「性」にこだわったかというと、それまでキリスト教の影響下にあった西洋ではずっと性が抑圧されてきたから。つまり、実際に性の抑圧が神経症の原因になっていた時代だった。
  • 自我とエスのバランスを取るための機能、すなわち<超自我>というものが人間精神に宿っている、だから「道徳」が成立し人間社会の秩序が保たれるのだ、とフロイトは考えた。超自我が自我と区別されるのは超自我の由来が外部の世界(親のしつけや教育など)だからです。つまり人間の精神は超自我という領域によって三次元世界の他人の自我と繋がっているのです。
  • 超自我の形成過程を説明するために、フロイトは「息子は父親を殺して母親を寝取りたいと思うのだが、不能故にできないのでその欲望をエスが抑圧し、不能という内的な欠陥の代わりに母親と寝てはならないという外来的な禁止条項を作り上げる。これが超自我の起源なのだ」というエディプス・コンプレックス理論を唱えた。フロイト自身がマザコンだったので、たぶんこの理論はフロイト本人のコンプレックスを全人類に適用しようとしたもの。
  • 性欲をそのまま女性にぶつけるのではなく、彫刻や絵画といった芸術に捧げることを「昇華」と言います。リビドーは芸術だけでなく、事業や学問など、色んな行動に昇華できます。つまり人間の文化とは全部リビドーの昇華の結果なんです。
  • エドワード・ウィッテンは分裂していた超ひも理論を一つにまとめて「M理論」を発表した。これによると宇宙は「十一次元」となっている。見えない残りの7次元はすぐ近くにあるけれど使わないタペストリーのように巻き上げられてしまっているという。世界のどこかに「見えない次元」がある。これこそ、プラトンが「イデア界」と呼んでいた世界なのではないか。イデア界は人間の心の中のみの現象ではなく、この世界の外に本当に実在する? 宇宙物理学はとうとう「イデア界はやっぱり外に実在する」という旧プラトン主義を復活させた。
  • 宇宙の誕生の原因とされているビッグバンの原因は未だにわかってない。しかしM理論なら説明できる。膜のように漂っている我々の宇宙が、隣の宇宙の膜とぶつかり、そのショックでビッグバンが起きたのだ。宇宙の膨張はいつか終わる。ところが、膨張を終えた宇宙の膜は再び隣の巻くとぶつかる。そして、ビッグバンが起こる。こうして死んだ宇宙はまたもや再生され、振り出しに戻る。これはニーチェの「永劫回帰」。インド哲学で言うところの「輪廻」ではないだろうか。
  • この他、我々人間が観測できるエネルギーは宇宙全体の四パーセントくらいにしかすぎないことがわかった。残り九十六パーセントは「暗黒物質」とか「ダークエネルギー」と呼ばれていて、正体は謎。どうも、エーテルの復活するもそう遠くない。
  • リアリティは脳内で生まれてくる。ペンフィールドは人間の脳ミソに電極を差してビリビリとやる実験を行った。側頭葉ののある場所に電気を流すと、「記憶」がフラッシュバックしたという。その上、刺激する部位によって甦る記憶が異なるらしい。しかもまるで現実そのもののようにリアルだったという。茂木健一郎はここからリアルさの起源を「脳内のニューロン活動」だと結論。人間が「リアル」だと感じている「現実」は、実は「脳内現象」なのだ、と。
  • 人間は三次元という仮想現実を共有することで、かろうじて社会生活を営んでいる。真の現実を人間は知りえない。これが、哲学のたどり着いた結論。
  • テストステロンの量によって性格が左右される。テストステロンが少ないとラブ&ピース&オタクになる。多いとDQN系になる。運動をしてるとテストステロンは増えて、ホワイトカラーな仕事をしていると身体を動かさないので減る。何故か農業に従事しているとうんとテストステロンが減る。「農耕民族的」(おとなしい系)と「狩猟民族系」(ジャイアン系)という人類二分法が昔からあるが、テストステロンの量によって男のタイプが二分されている。
  • 角川映画麻雀放浪記」では終盤、麻雀打ちのおっさん・出目徳が卓を囲んでいる途中で死んでしまう。すると、一緒に打っていた面々は、出目徳の死骸を裸にして河川敷に投げ落とす。「死んだら負けだ。負けたら裸になるんだ!」麻雀漫画、麻雀小説といった博打モノは、こういった無常の世界観で彩られている作品が多い。
  • 日常の世界が隠している真実、つまり人間はみな「死ぬ」=「敗北する」という世界観を博打の世界が再現している。博打という世界では、擬似的に「人間はみな敗北して死ぬ」という「生の現実」を体験できる。
  • 物語には赤木しげる哭きの竜のように恐ろしく強いカリスマ麻雀打ちが登場する。マンガだけでなく現実にもカリスマ雀師がいる。彼らは「神」に近い存在である。「死」を超越している。しかし、みんな最後は死ぬ。「死」、すべての人間に訪れる人生の最期という現実を描ききらなければ、麻雀マンガは完結しない。博打とは人生の縮図なのだ。
  • 哭きの竜や赤城しげるは「死にたくない」というエスの欲求そのものから解放されている。だから麻雀に人生を捧げてしまえるし、負けることも恐れない。赤木しげるは過剰なエスを捨てることで解脱したキャラクターである。一種の聖者なんです。麻雀マンガは実は現代の宗教マンガでもある。
  • キリスト教は「童貞宗教」で、童貞や処女の純潔性を尊ぶ宗教。特にカトリックは、人間の欲望、特にセックスに対する欲望は罪深いものであるとされている。「モテてはいけない」という思想。
  • ニュー・アカデミズムは1980年代日本に流行した現代思想ブーム。始めは個々の思想家が雑誌「現代思想」を中心に真面目に哲学していただけなのだが、それが「知」というファッション、モテるための商品となった瞬間に日本の哲学は終わった。
  • 「コギト」とはコギト・エルゴ・スムのこと。デカルトが「方法序説」で辿り着いた「我思う、故に我あり」という発見。あらゆるものを疑っても、自分が思考しているという事実だけは疑えない。近代合理主義の出発点、観念論の始まり。
  • 「タブサ・ラサ」とは白い石版、白紙のこと。ジョン・ロックは、人はタブサ・ラサつまり何ら観念を持たない真っ白な状態で生まれてくると考えた。
  • 「王権神授説」とは王権は神から与えられた神聖不可侵なもので市民に口出す権利はないという。ヨーロッパの絶対王制を正当化するために考えられた。
  • 中国の孔子(BC551年〜BC479年)は「怪力乱神を語らず」という合理主義を説いた。合理主義は文明がそれなりに発達し自然を克服できる力を持っていなければ生まれてこないので、当時の世界では中国の文明が一番進んでいたことになる。
  • クリシュナムルティ(1895年〜1986年)は「星の教団」の教祖にされたが、34歳の時に「救いは自己の内部にあり、組織は何ももたらさない」と自分の教団を解散。以後、組織を作らずに個人としての説法・対話などの活動をした。著作を読むと、たいていは相手がバカなので怒っている。
  • プラトンの師匠ソクラテスは「汝、自身を知れ」というフレーズを標語としたことで有名。つまり人間はみんな利口ぶっているが実は自分のことすら知らないバカばかりだ、と言った。「自分が無知だと知ることから、本当の知が始まる」と言った。本当のことを言ったためにソクラテスは憎まれ、若者を扇動していると告発されて死刑になった。
  • ナンシー・エトコフという人の書いた研究本「なぜ美人ばかりが得をするのか」によれば、ラングロワという心理学者が赤ん坊に色んな人の顔写真を見せたところ、赤ん坊は美男美女の写真の方ばかりを長く見ていたという。
  • ソフィスト」とは「知者」のこと。古代ギリシアの職業知識人で、金持ちにディベート術や書生術などを教えてお金を稼いでいた。レトリックを凝らした詭弁ばかり弄していたので、ソクラテスプラトンソフィストを嫌っていた。
  • ニーチェは「ローマの奴隷だったキリスト教徒は、現実では勝てないので『脳内勝利』という詭弁を弄し、弱者こそが正しいというルサンチマンに満ちた転倒した価値観を作り上げた」と喝破した。
  • 横山光輝は「鉄人28号」でショタ萌えを産み、「マーズ」でやおいを産んだ。
  • 「魔女の鉄槌」とは1486年ドイツで出版されて200年に及ぶベストセラーになった。執筆はドミニコ会の異端審問官、ハインリヒ・クラマーとヤーコプ・シュプレンガー。女の悪口と童貞のエロ妄想が爆発。魔女裁判バイブルとして読まれた。
  • 様々な感情が特定の脳内ホルモンが分泌された結果生じる化学反応にすぎないことがわかってきている。エロスとかアガペーとか言っても、全ては実は脳が産んだ物理現象に過ぎない。
  • 演繹法」とは最初に結論があり、そこから敷衍していくという方法論。デカルト演繹法の代表者。この逆がイギリスで盛んになった「帰納法」。帰納法では、様々な事実を収集し、そこから一つの結論を導き出す。
  • 「エメラルド・タブレット」とは錬金術上の重要アイテム。ヘルメス・トリスメギストスが書き記した錬金術上の奥義書と考えられた。ニュートンはエメラルド・タブレットを入手して本文を英語に翻訳したり、自分でラテン語の注釈をつけたりしていた。
  • デカルトは生涯独身で、フランシーヌと名づけた精巧な少女ドールを持ち歩いていたという伝説を残している。ドールとお喋りしたり、身の回りの世話をしていたというのである。デカルトはこの人形をトランクに入れて運んだ。
  • ギリシア神話に登場するピグマリオン身分は王様だが、神様にお願いして、自分で作った等身大フィギュアに「命」を与えてもらい、人形と結婚して子どもも作った。
  • リラダンの小説「未来のイヴ」ではエジソン博士が人造美少女人形を作る。
  • ホムンクルス」とは錬金術によって製造する人工生命。パラケルススによると、人間の精液や血をメルクリウスの器に入れ、暖めて造り出す。人間の姿をしているがに、非常に小さい。1990年代半ばに発売されたPCゲーム「メルクリウス・プリティ」で、恐らく初めて萌えキャラ化された。
  • 宮沢賢治は「性欲の乱費は、君、自殺だよ。いい仕事は出来ないよ。瞳だけでいいじゃないか。触れてみなくたっていいよ。性愛の墓場までいかなくてもいいのだよ」「俺は、たまらなくなると野原へ飛び出すよ。雲にだって女性はいるよ。一瞬の微笑だけでいいんだ。匂いをかいだだけで、後は作り出すんだよ」
  • サリエリは作曲家でウィーンの宮廷作曲家として持てはやされたが、晩年は「モーツァルトサリエリに毒殺された」という噂を立てられた上、死後は休息に忘れ去られた。映画「アマデウス」で天才モーツァルトに嫉妬する凡人代表として登場し、有名になった。今や「サリエリ」と言えば「凡人」の代名詞となった。
  • カントは規則正しい生活をしていた。いつも決まった時間に決まった場所を散歩するので、人々はカントが歩いているのを見て時計を合わせたという。
  • 1740年に発表されてベストセラーになったイギリス(ヨーロッパ)初の近代小説「パミラ」は、貞淑なメイド少女パミラがご主人様に襲われつづけ、ひたすら処女喪失の危機を回避し続ける。そのうちご主人様が真の愛に目覚めてめでたく結婚するという「寸止め恋愛萌えエロ小説」だった。
  • 「実存哲学」とは20世紀ドイツの哲学者ハイデカーやヤスパースからフランスのサルトルに続いた哲学の一潮流。神が死んだので人間自身が価値を創造しなきゃいけないという個人主義人間主義的な思想。キルケゴールニーチェドストエフスキーが先駆け的存在とされる。
  • 北村透谷は日本におけるロマン主義作家の先駆け。「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり、恋愛ありて後人世あり」という歌劇かつ神秘的なキリスト教恋愛至上主義を恐らく日本で最初に主張した。透谷は女性を「真実の天使」と崇拝したが、実際に結婚し女性が「醜穢なる俗界の通弁」だという現実を知ってしまい、理想との格差に絶望。25の若さで自殺。
  • 曲学阿世」とは史記の言葉。己の信じる学説を曲げて世間におもねること。前漢時代の学者・轅固生(えんこせい)の言葉。轅固生は老子にハマッていた太后に向かって「老子なんてペテン野郎です」と正直に答えて身分を降格させたりした。
  • 童話作家アンデルセン肖像画を捏造し、嘘の自伝を書いた。熱心に「幸せな自伝」を書いて読者は信じた。彼はラブレター代わりに嘘自伝を女性に送りつけていた。
  • アフォリズム」とは箴言のこと。非常に重要な思想を、長々と書かず短い言葉でズバッと書き表すこと。そもそも心理は簡潔な言葉や数式で言い表せなければならない、とアインシュタインも信じていた。
  • 「読書とは他人にものを考えてもらうことである」(ショーペンハウエル
  • きみのためなら死ねる!」(岩清水弘)
  • ハムラビ法典の第196条「目には目を、歯に歯を」
  • ゴルトンは十九世紀イギリスの生物学者で、ダーウィンの従兄弟。ダーウィン的進化論と社会進化論を組み合わせた思想「優性学」を考案した。才能は遺伝する。だが社会はこれまで弱者救済のために機能してきたので自然淘汰の原理に反してきた。つまり人類は文明を築くことで「逆淘汰」という状況を生み出し、退化しつつあるのだ。
  • ドストエフスキーは博打に夢中になっていた。ドストエフスキーが奥さんにあてた手紙を集めた「妻への手紙」は博打の話ばかり。また実体験を元にした「賭博者」という小説も書いている。フロイトドストエフスキーの博打中毒を神経症の一種とみなし、詳細に分析した。
  • セックスピストルズはボロッちい古着に安全ピンを止める「アンチ・ファッション」で世間に登場したが、言うまでもなく安全ピンはすぐに「ファッション」になり、パンクもまた資本主義の商品になっていた。
  • クラフト・エビングはサディズムマゾヒズムフェティシズムなどの性倒錯の多くを紹介・定義した。
  • 「エポケー」とは現象学フッサールが提唱した哲学的方法の一つで、判断をいったん停止すること。
  • 「同棲時代」とは1972年から73年にかけて「漫画アクション」で連載され大ヒットした上村一夫の劇画。当時はまだ「同棲」という言葉が珍しく、若い男女の同棲生活を描く本作は非常な衝撃を持って迎えられた。そして、同棲が大流行した。
  • 「オガム文字」はケルトドルイドが使用した文字。魔力があると考えられていたので、占いなどの非日常的な祭事で使われた。
  • ボードリヤールは1929年生まれのフランスの現代思想家。資本主義社会は生産社会から消費社会へと移行したと言い出した人。「消費社会では、商品は記号になる」「全てが記号となる現代社会に残された交換とは、死の贈与だ」と予言した。全てが記号化された消費社会では本物と偽者の区別はなくなり、すべてがシミュラークルとなる。
  • ヘレン・フィッシャーの著書によると人間が恋愛中毒に陥って恋愛をやめられなくなってしまうのは、脳内に分泌されるドーパミンの中毒になってしまうからだという。フィッシャーはこの状態を「ラバーズ・ハイ」と名づけた。恋愛すると食欲がなくなるのもドーパミンのせいだし、不眠になったり心臓がバクバクするのも躁状態になるのも泣き虫になるのも、全てドーパミンが原因。恋愛とはつまり「脳内現象」なのだ。
  • カタリ派」とは十世紀から十三世紀にかけて存在したキリスト教の異端宗派。「この世は悪なり」というグノーシス主義的な二元論を採用し、フランス南部のトゥルーズなどで流行した。この世があくなら、神の子が直接生まれてくるはずがない。故にイエスは人間ではなく幻想だという説を唱えた。
  • プラトン哲学とグノーシス主義が合体した「新プラトン主義」は本来のプラトン哲学とは異なり、世界は「一者」が流失して生まれたものだと考える神秘思想だった。
  • サイクリック宇宙試論によると宇宙はビッグバンとビッグクランチ(収縮)を過去に何十回も繰り返し、現在の宇宙は「五十回目の宇宙」なのではないか、という。宇宙はリセットされるたびに寿命を延ばし、進化してきたという。