「乱調文学大辞典」筒井康隆 72年01月28日

  • アイロニー』昔、イギリスにジョージ・ゴードン・アイロンという詩人がいた。この詩人は無知であったため、様々な間違った言辞を弄した。無知な読者は、これを間違いと思わず、優れた反語、または皮肉とであるといって絶賛した。ここからアイロニーなる言葉が生まれた。現在でも、たまに優れた反語や皮肉が書かれていた場合、それは作家の無知による間違いであることが多い。
  • 『赤新聞』すっぱ抜きやスキャンダル記事を主とする低級な新聞のこと。「赤旗」(日本共産党の機関紙)のことではない。
  • 芥川龍之介』作家。明治25年、生後九ヶ月で誕生した。母親が発狂したことは有名であるが、一説によれば父親は河童であったともいう。彼は生涯、羅生門に住んだ。後進の作家のために芥川賞を作り、それを蜘蛛の糸の先にぶら下げ、糸をよじ登ってくる作家がたくさんいると、その糸を鋏でちょん切って墜落させ、喜んでいた。昭和二年、彼は致死量の睡眠薬を飲んで病死した。
  • 天児屋根命(あまのこやねのみこと)』作家の先祖。
  • 奥の細道芭蕉が奥羽・北陸地方を旅行した際の紀行文であるが、同行した門人曽根の日記とつき合わせるとだいぶ嘘があるらしい。たいていは実際より面白い話となり、作者がいい格好をしているということは、現在のあらゆる紀行文学と同じ。
  • ツルゲーネフ』その作品「父と子」の中で、初めてニヒリストという言葉を使って大きな論争を巻き起こした。どんな言葉だって最初は流行語だったのである。
  • 『ハメット』「血の収穫」のプロットは、あらゆる小説、映画、劇画に流用されている。その数、おそらく百をくだるまい。
  • タレントや歌手の書いた小説が珍重されるのは、必ずしもネーム・バリューのためだけではない。実際そっちの方が面白いからなのである。何故か。彼らは書斎と銀座のバーを往復している作家よりも、現代を生きているからだ。
  • 若い漫画家やテレビ局員が「活字は信用できない」という時、それはただ頭の中だけででっちあげられた思想、自分に都合のいい主義主張、テニヲハの違いだけで意味が逆もなるようなあやふやな表現、歪められた偏見に満ちた描写、等等を指している訳だ。そして彼らは「現に眼に見えるものだけが信用できる」と、いうのである。
  • 新人作家は批評家に的外れな誉められ方をし、どんどん見当外れの方向へ進んでいく。自分本来のテーマを見失い、精神的に年老いた批評家が原稿の締め切りに追われて行き当たりばったりに指摘した、おそらくは新鮮さのない、出来合いのテーマや思想や文体を追い求めていき、そして書く情熱を失う。
  • 精神的に老化した批評家の誉める作品は、当然、精神的に老化した作品だけであるから、新人作家が貶されるのは当たり前ということになる。むしろ、貶されやっつけられる作品ほど新しいものであるということになる。
  • 作家にとって批評は毒にも薬にもならない。批評とは、読者が読むものであり、作家の読むものではない。
  • 敗戦直後、占領軍直属の秘密工作組織で、キャノン機関というのがあった。その当時の列車転覆事件を始めとする大きな事故、重大な殺人事件のほとんどは、キャノン機関の仕業だと言われてる。首領はアメリカ中央情報局に所属するキャノン中佐。ある日、キャノンが銀座のバーで売れない三文文士と知り合った。ため息をつき、小説家は言う。「毎晩、横須賀線の鎌倉行き最終列車は、鎌倉に住んでいる流行作家でいっぱいになる。あの列車が事故を起こしたら自分の小説が少しは売れるようになるのに」その頃の鎌倉文士はどうやら終列車に間に合うように銀座のバーを引き上げていたらしい。キャノン中佐は眼をギラリと光らせ「それを実現したらいくら出す?」と言った。
  • ライバルを蹴落とす方法。相手を的外れな誉め方をする。相手は喜び誉められた部分を伸ばそうとする。ライバルは転落の坂に地響きを立てること、確実。
  • 原稿遅れの言い訳。包帯で手をぐるぐる巻きにし書痙になったという。書痙というのは流行作家がよく起こす神経症
  • 文芸同人誌で修行した結果、たいていの人が、批評眼だけは鋭くなり、そして小説が書けなくなってしまう。