「動物化する世界の中で」 東浩紀・笠井潔 03年04月22日発行

  • (*東浩紀柄谷行人の衰弱。しかしそれは決して彼個人の問題ではありません。七〇年代以降、長いあいだ「思想」と「文学」と「政治」の言葉が接する場所で活躍し続けてきた批評家のこのあまりにも激しい凋落は、やはり、私たちの時代の何かを映している。(P16)
  • (*東)おそらくそれは、大雑把に言えば、「思想」や「文学」が伝統的に用いてきた言葉と、冷戦以降、グローバル化と情報化とポストモダン化の大波のなかで急速に変貌を遂げつつある社会的現実とのあいだの、あまりにも深く大きな乖離の意識、といったものなのではないか。平たく言えば、要は、いま、旧来の思想や文学の言葉を担ってきた人々は、現実のあまりの変容にただ絶句し、それを解釈も解読も分析もできない、深刻な失語症に陥っているのではないか。だからみんな黙ってしまったのではないか。(P17)
  • (*笠井潔学生運動時代に、商業的な左翼雑誌に思想論のような文章を書くこともありました。そうした際には、かならず文末には、所属していた組織の名称を記入するようにしていた。レーニン主義の用語でいえば、「党」による宣伝活動の一環として、文章は執筆され公表されるのだという位置づけから。いまにして思えば滑稽ですが、共産主義者の党(実体は弱小新左翼セクトにすぎないにしても)に所属しているという一点において、私と世界の繋がりは支えられていたわけです。ものを書いて発表することは、いうまでもなく社会的行為です。この社会的行為を権利づけるために、肩書きとして「評論家」でなく「××党員」と明記することが要求されていた。(P26)
  • (*笠井)ナショナリストもまた私と世界の断絶の意識をイデオロギー的に隠蔽しているわけで、僕にいわせれば戦後民主主義者の下らない同類です。(P31)
  • (*東)ついでに告白しますが、僕もまた、実は、あのとき皇居前広場に訪れ、しっかりと記帳の列に並んだ「消費者」のひとりです。同級生とふたりで出かけたのですが、僕は記帳台の手前まで行きながら結局は記帳せず、友人は偽名を書き込んでいました。そしてそのような振る舞いは、僕の記憶に間違いがなければ、当時都内の高校生のあいだでそれなりに流行していたように思います。(P38〜39)
  • (*東)二五年前、まだ幼稚園児だった僕は、この遊園地に遠足に来て迷子になったことがあります(当時はここから五キロほど離れた三鷹市に住んでいました)。母親とも引率者ともはぐれてしまった僕は、いろいろ考えた挙げ句、職員に駐車場の場所を尋ね、遊園地を出てバス乗り場に行き、遠足の終了時間を落ち着いて待つことにしました。僕としてはだれにも迷惑をかけない素晴らしいアイデアのつもりだったのですが、実際には関係者の混乱を招いただけのようで、案の定、ようやく僕を見つけた母親から誉められるどころかこっぴどく叱られてしまい、その予想外の展開に心底憤慨したことを覚えています。(P46)
  • (*笠井)評論の場合は書き終えたとき、それがどの程度のものであるのか、かなり的確に自己評価できます。自己評価が八〇点で、読者の平均的評価が六〇点か七〇点かという程度の誤差は生じうるにしても、八〇点のつもりが二〇点とか三〇点ということは、まずありません。しかし、小説の場合は違う。(中略)違ういい方をすれば、評論を批判されても反論できるけれど、小説が「面白くない」といわれた場合、作者としては返す言葉がないということでしょうか。評論の評価基準が「真」であるのにたいし、芸術とか美とかいう言葉から生じる抵抗感を抑えていえば、小説の基準が「美」だからかもしれません。(P49〜50)
  • (*笠井)徴兵拒否の座りこみ運動を、ビートルズを引用して「イエロー・サブマリン作戦」と呼んだバークレー反戦学生も、「舗石を剥がすと、そこは砂浜だった」と落書きしたフランス「五月」の反乱学生も、勤労のモダンにフーリエ的なアナキズムを対置した点では、六〇年代後半の全共闘学生と時代精神を共有していたのです。(P56)
  • (*笠井)冷戦以後の国際新秩序を掲げて湾岸戦争を指揮した前ブッシュ大統領は、イラククウェート侵攻を「戦争ではない、犯罪行為にすぎない」ものと位置づけました。国家による軍事力の行使という点で、まだしも「戦争」のように見えたクウェート侵攻さえ「犯罪」である以上、正体不明の小グループによるハイジャックと高層ビルやペンタゴンへの攻撃もまた、どう見ても「犯罪」というしかない。だからこそ、現ブッシュ大統領が「これは戦争だ」と口走った事実には、無視できない象徴的な意味があるのです。(P82〜83)
  • (*東)いま私たちが直面している敵のイメージは、ウルリヒ・ベックが『危険社会』で主題とした「リスク」に近い。ベックは、チェルノブイリから世界中にばらまかれた放射性汚染物質、食品や土壌汚染に含まれる無数の有害物質などを例に挙げて、現代社会のリスクは「知覚しえない」「化学や物理学の記号の形でしか認識されない」ものだと述べ、その知覚不可能性が人々をますます不安にするのだと指摘していました。(P96)
  • (*東)セキュリティという言葉の語源に興味をもたれるかもしれません。secureとはラテン系の言葉ですが、これは、「配慮」や「関心」を意味するcura(英語のcareの語源です)に、「ないこと」を意味する接頭辞se-が付されて作られたものだと言われています。つまりセキュリティとは、語源的には、世界への配慮や関心を必要としない状態を意味する言葉なのです。したがって、セキュリティを高めるとは、世界に対する配慮を必要としない状態を作りあげること、人々が配慮なし(se-curus)で生きる世界を作りあげることを意味しています。(P100)
  • (*東)僕のまわりではだれもハイデガーマルクスなど読んでいない。そのかわり、人々は、未来の社会デザインについてコンピュータやインターフェイスやネットワークの隠喩で語っている。そして実際に社会構造が変わりつつある。それが僕が生きている世界です。(P124〜125)
  • (*東)「スーパーフラット」や「データベース的」といったマイナーなタームに触れることが必要なのか、最低限の説明が欲しい。あるいは、もし僕の本からの引用だと言うのならば、どのようなポイントに興味が惹かれたのか、笠井さんご自身の言葉が欲しい。その前提がないまま、単に惰性でジャーゴンを使うのならば、笠井さんが批判されているポストモダニストたちと変わらない。その結果は読者の減少、固定化、そして生滅です。(P146)
  • (*東)最後に本格ミステリの話がもち出されるのも、それが笠井さんにとって「主戦場」だからという、きわめて個人的な事情が理由になっている。これは確かに率直なお言葉なのでしょうし、年齢の問題は重要だと思いますが、しかし、こうアケスケに言われてしまっては、まだ三〇代の僕がこの企画に参加し、毎月原稿を公開している意味はどこにあるのでしょう……。そのショックがあまりに大きかったので、申し訳ないのですが、続く吉本隆明江藤淳の話はほとんど印象に残りませんでした。僕としては、繰り返しますがもっと開かれた問題意識、親子ほどの年齢差のあるふたりの批評家が「いま、ここ」でこそできるアクチュアルな議論を期待していたのです。(P146〜147)
  • (*東)村上春樹は、ご存知のように、デビュー作の冒頭(第三段落)でつぎのように記しています。「それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない」(『風の歌を聴け』)。いまさら僕が指摘するまでもなく、七〇年代と八〇年代の端境期に記されたこの言葉は、まさに、大きな物語の凋落のあと、思想や文学がそれぞれ「小さな物語」のなかに自閉していく過程を鮮やかに切り取っている。(P149)
  • (*笠井)底に穴があき、船は沈もうとしているのに、無自覚な乗客は甲板で宴会をしている。穴を塞ごうとも、救命ボートを下ろそうともしない。なんと愚かな……。という類の「リアリスト」の言葉は、船や海という「現実」にリアリティを感じることのできない乗客には、いかなる意味ももちえません。(P157)
  • (*笠井)読者の前で内幕を語ることは慎むべきでしょうが、東君が編集者をふくめての打ち合わせを引きあいに出して自説を補強している以上、それも許されると判断します。八月一一日に打ち合わせたとき、第一〇信では佐藤友哉本格ミステリの方向に話を振ったが、もしも不適当だと判断するなら無視してもかまわないし、住基ネット問題など時事的問題に話を移すなら応えられる限りで応えたいと思うという意味のことを僕はいい、この点は確認されたはずです。にもかかわらず時事的問題の方向に論点を進めることなく、佐藤問題を焦点として一方的に笠井「禁治産者」宣言を下し、往復書簡の実質的な中絶を宣言するというのは一体どういうことなのか。さらにいえば、四月に電話で話したとき、東君はホームページで佐藤友哉作品を高く評価しているが、評価の内容を往復書簡で書いてもらえないだろうかと提案しました。もう忘れているのかもしれませんが、笠井が話を向けるなら対応しようと、そのとき東君は回答しています。(P161)
  • (*笠井)笠井は佐藤作品を全面否定している。佐藤作品の是非を問うことで、笠井は東に踏み絵を踏ませようとしている。笠井は本格ミステリ業界の党派争いに東を巻きこみ、利用しようとしている……。/一体、どんな思考回路からこのような妄想と邪推が生じるのか、僕は「愕然」あるいは「呆然」とします。(P162〜163)
  • (*東)したがって、これはもう、笠井さんと通り越して読者のみなさんへの言葉になってしまいますが、この往復書簡でそこまで踏み込んだ議論にもっていけなかったのは、単純に僕の力不足、というより経験不足だったと深く反省しています。もっと面白い対話になったはずなのです、私たちのこの往復書簡は!(P175)
  • (*東)ポストモダニズムへの批判の声はなぜかいまだに絶えない。たとえば、論点や背景はまったく異なりますが、数年前には、アラン・ソーカルの著書『「知」の欺瞞』が、やはりポストモダニストを批判したい論者のあいだで注目を浴びました。しかし、そういう人々の文章を読むたびに僕が疑問に思うのは、そこで批判され攻撃されている「フランス」系の「人文的」で「思弁的」な思潮など、この国のどこに存在しているのか、それは本当に社会的(社会的、といいうのがあまりに広すぎると思うのなら、論壇的でもいいし、何なら文芸誌的でもいいですが、とにかくどこかで)影響力を保っているのか、という疑問です。もしかして、いまポストモダニズム批判を展開している論者たちは、一〇年以上前の浅田彰中沢新一の幻影に向かって、無駄な弾を撃っているのではないでしょうか。少なくとも、僕にはそう思われてなりません。(P195)
  • ご多分にもれず、僕もまた吉本隆明という思想家に少なからず影響されています。われわれ(団塊の世代)の親たち(戦中派)は、第二次大戦の敗戦を境として、ほとんど全員が思想的立場や主義信条、世界認識や価値観を鋭角的に変更している。簡単にいえば「転向」している。「鬼畜米英」から「アメリカ民主主義万歳」に、という具合です。しかも「転向」の意味は切実に問われることなく、ほとんどの場合は適当にやり過ごされた。団塊の世代(むしろ、ここでは全共闘世代というほうが適当かもしれません)にとって『芸術的抵抗と挫折』や『自立の思想的根拠』の著者だけが、自分の「転向」の意味を徹底的に問い続けた思想家と見なされたわけです。(P206)