「これが答えだ!」 宮台真司 98年12月19日発行

  • 知り合いの売春女子高生からこういうファックスが来ました。映画『ラブ&ポップ』を見て、浅野忠信が援交少女に「君がこういうことをしてるときに、めちゃくちゃ悲しんでるヤツがいるんだ」と説教をするシーンで、自分は誰からも悲しんでもらえないということがはっきりわかって泣いてしまったと。自分が援助交際してることがバレれば、母親は泣くだろうし父親は怒るだろう。友達やボーイフレンドもショックを受けたり非難したりするだろう。だけどそれは悲しむのとは違う。自分の思い通りにならないで失望したり憤激してるだけ。あるいは自分が理解できない生き方を前にして自己防衛的になってるだけ。もし援交少女があの映画を見たら、家に帰って、死ぬほど悲しんでくれる人間を探すだろうけど、悲しんでくれる人がこの世の中に一人もいない現実に気づいて、援助交際をかつてよりも確信犯的に続けることになるだろうと。だからこの映画は、援交説教映画ではなく、むしろ援交推奨映画なんだと。(P20)
  • 僕が五七キロのときに九〇キロの女とセックスしたことがあります。ただこのときは穴がどこにあるかわからなくて手間取りました。穴に入っていなくても肉の間に挟まっちゃって素股状態(笑)。(P22)
  • 僕は中学・高校と男子校で、空手部に入っていたんですが、新入部員のときには先輩からいろいろ可愛がっていただきました(笑)。彼から愛撫の仕方とか、いろんなことを教わりました。指と指の間とか股の内側など、普段隠れていて見えない「内側」の部分はすべて性感帯だよ、とか。手をつないでしまえば指の間を愛撫できるからもうこっちのもんだよ、とか。いったん血行と神経を集めておけば、触らなくても、手を近づけたり息を吹きかけたりするだけでめちゃくちゃ感じるよ、とか。それからその先輩に全身なめられて、「宮台君はアドレナリンの匂いがするね。感じてるよ。チンチン勃ってるじゃないか」とか言われたり……。ですから女の子との初体験は、その先輩にされたことをそのまんま彼女にするだけでしたので、非常にスムーズにいきました。中学時代の三年間、中央線でよく男の痴漢にあいました。触るのが男でも、あの年代はすぐに変な気分になってチンチンが勃ちます(笑)。しかも男が男に触られてるんだと恥ずかしくて、女の子みたいに「この人痴漢です!」って言えないじゃないですか。だから触られ放題で、ずいぶん感じさせられました。それから中三のときに同じクラスにすごくキレイな顔した男の子がいて、授業中でもいつも彼のことばかりを見ていて、彼をこんなふうに愛撫すれば、こんな顔をするのかなあ、なんて妄想していました。僕にはゲイ的なところがあるのかもしれませんが、まだ今は、女性だけを相手にしています。女の子になることにも興味があって、小学校のときに女の子になった気分で空き地や女子トイレで座りションベンをしたり、いろいろしました。成人になって女装したときにもとてもワクワクしましたが、まだ今は、ドラッグクイーンになっていません(笑)。たぶん男として女を相手にしているだけで相当ヤヤコシイのに、さらに選択肢が増えるのが面倒なんですね。(P24〜25)
  • 僕は、女の子が興奮するほど自分も興奮するので、女の子のためにあれこれ工夫するのが好きです。工夫するほど興奮する。強姦ロールプレイとか3P(得の男二人×女一人)とか野外羞恥プレイとか。目隠しとか、縛ったり縛られたりもしますが、あんまり痛いのは好きじゃないです。だから鞭やローソクはちょっと……。(P26)
  • 学生時代と言えば野外プレイですね。都内のめぼしい公園はすべて。東大総合図書館のなかや屋上、安田講堂の柱の陰とか、社会学研究室とか、人のいない、でも人が来そうなあらゆるところでやりました。たぶん東大構内で最もやった男でしょう。(P26)
  • リプロダクティブ・ライツ、直訳すると再生産の権利ですが、子供を産むか産まないかを決める権利は、女にあるという考え方があります。(P36)
  • だけどその一〇年後には、今後は五〇枚ほどのテレクラの会員カードを捨てられる事件が起こりました(笑)。全然進歩してない。でも、以降テレクラ何十人切りの話とか母親とよくしました。テレクラ帝王の僕ですが、「あの母ありて、この子あり」だったという話。(P41)
  • 僕が東大に入学した七八年当時、ストーカーという言葉はなかったものの、どこの学科にも妄想的に女子につきまとう男が一人はいました。映画を見に行っただけで「僕のこと好きなんだね」とつきまとったり、「すれ違うたび、君は僕を意識して恥じらってるね」と書いた手紙を自宅ポストに直接投函したり。他大の友人にそれを話すと「さすが東大」と賞賛されました(笑)。実は東大以外にはこういう存在はあまりいなかったんですね。(P44)
  • 社会学で「コミュニケーション・メディア」と名づけますが、絶対に達成されることがありえないのに、人々が永遠にコミュニケーションできる課題があります。例えばエステ。痩せたら痩せたで「美的に痩せなかった」「ここの肉は落としすぎた」「ここはもう少し脂肪をつけなきゃ」と永久に達成されない課題です。教育現場での「心の理解」も同じ。六〇年代の「のびゆく可能性」(能力主義否定=平等主義)に代わって七〇年代に登場する「心の理解」(共感的理解=共同体主義)なる課題は、成功しても「もっと深く」「もっと多くの子供を」、失敗しても「もっと正しいやり方を」と永久にコミュニケーションできます。永久運動装置であるコミュニケーション・メディアにより、一定の社会制度とそれに結びついた個人的実存が担保される。(P46)
  • おもしろいのは、援助交際してる子たちに聞くと、出会った男が全員、自分の自慢をしまくるって言うんです。仕事、収入、車、持ち物の自慢をする。名刺を見せびらかしたりして、自慢された女の子は「へえー、すごーい」とか言ってあげるんだけど、心のなかで「バカかコイツ、かわいそう」って思ってる。つまり、当たり前といえば当たり前だけど、自慢は逆に「欠落の表れ」なんだと思うようになっている。(P48〜49)
  • 今まで続いた社会では例外なく、人は他人とのコミュニケーションを通じて承認されて、自尊心や尊厳を獲得してきました。そういう人は、自分が自分であることにとって、他人や社会の存在は自明の前提なので、「なぜ人を殺しちゃいけないのか?」などという疑問を抱きません。ところが昨今の成熟社会は深刻な承認の供給不足に陥り、一方で承認を求めて右往左往するACを、他方で承認から離脱する脱社会的存在を生んでいます。背後には、?郊外化を背景とするスキンシップ欠落、?学校化を背景とする子供を承認しない親の増大、?成熟社会の到来にもかかわらず上昇や支配を目指す古い価値観などがあります。処方箋は、幼少期からコミュニケーションを通じて承認を存分に与えられる経験を積んで、自らの尊厳と、社会や他人の存在とが、無関連にならないようにするしかありません。(P59)
  • すべてを母親に選んでもらった子は自尊心を「上げ底」されている分、セックスの場面で「上げ底された自尊心」のメッキが見事に剥がれます。実はいくつかの有名な家庭内暴力事件は、セックスの初体験に失敗したことがきっかけで、「母親のせいで失敗した」と正しく気づくことから親への暴力が始まっています。(P65)
  • 現在、僕は小説家・桜井亜美事実婚の関係にありますが、僕がそうするのは結婚届という紙切れが重すぎるからです。もし籍を入れたら、それなりのしがらみが僕の意志とは無関係にできるように感じてしまう。(中略)制度に守られていない分、絆は強くなる! 本当の絆には、結婚届などかえって邪魔!(P72〜73)
  • 社会学には互酬性という概念があって「人からしてもらったことをどこに返すか」を問題にしています。単純なのは「してくれた人に返す」というやり方。例えば親からの恩を親に返す仕方です。これはローカルな二者間で互酬(ギブ&テイク)が完結します。レヴィストロースという文化人類学者は、このタイプの互酬性を「限定交換」と呼びます。それとは別に、彼が「一般交換」と呼ぶ形があります。AさんはBさんに、BさんはCさんに、CさんはDさんに、DさんはAさんに渡すというようにグルッと回る。近親姦がタブーなのも、彼によれば、ローカルに互酬が閉じるのを避け、社会全体を経由しないと互酬が完結しない一般交換をするため。さもないと社会がバラバラになるというんですね。(P76)
  • メディア悪影響論は科学的に立証されたことがありません。九八年二月に英国政府が発表した過去二年間にわたる二〇〇人の被験者を使った実験でも、カンフー映画を見たあと、ロッカーをアチョーと蹴るような短期的影響はあっても、暴力的映像の長期的影響は認められませんでした。クリッパーの実証研究によれば、性的・暴力的映像は、あらかじめ性的・暴力的性向のある人間に引き金を提供するだけです(限定効果論)。むろん性的・暴力的メディアが溢れる社会環境全体が性的・暴力的な影響を与える可能性は否定できません。先進各国のメディア規制の根拠は悪影響論ではなく、「見たくないものを見ない権利」を保護するゾーニングに基づきます。これは「見たいものを見る権利」と裏腹だから、ハリウッドの映画会社は映像表現を生き残らせるべく、Vチップに基づくゾーニングを支持します。(P88〜89)
  • 六〇年代のオランダで、高校生を「クスリはダメだと一方的に説教する」「いけない理由を説明する」「いけないというメッセージは伝えないで是非を討論させる」という三つのグループに分けて麻薬教育を施し、追跡調査をしてみた。すると最も麻薬に手を染める割合が多いのは「説教グループ」、一番少ないのが「討論グループ」でした。ある程度周りにクスリをやる人間が増えてきたなら、クスリをやる人生とは自分にとって何なのかを徹底して考えさせれば、偶発的事情や同調圧力に負けてクスリに手を出す人が激減し、一部に確信犯的にクスリに向かう人が出てきても、全体としては威嚇教育に頼るよりも有効に麻薬経験者を減らせるということです(売春の場合も全く同じ)。(P92)
  • いじめる側に尋ねると一様に「おもしろいから」「楽しいから」いじめると言います。娯楽であるなら、他にもっと楽しいことがあればそちらに移行するはず。現実に都会は「第四空間」だらけ。ストリートがあり、クラブがあり、各種イベントがあり、楽しいことだらけ。そんな場所ではいじめがあっても一過性で、いじめに固執するヤツがむしろバカに見える。逆に田舎は、ストリートもクラブも各種イベントもなく、学校的なものに染まりきった学校・家・地域から逃れるすべがありません。だから永遠にいじめに固執する。(P97)
  • オーディションとか人材募集の広告で言われる「個性」とは、さほど真剣にあたらない凡庸な記号です。企業が「個性的な人材求む」と言ったって、みんなリクルートスーツを着てくるでしょ。そもそも「個性的な人材求む」という言い方が無個性。だったら人事課も「ロボット人間募集」とかすれば、ホント個性的な人間が来ますよ。(P104)
  • 僕の同世代教員に尋ねると、うまく怒れないのは、怒ったあとの関係がこわばるのを心配するからだと言います。取っ組み合っては仲直りする経験をたくさんしている僕には、この種の懸念はありません。そもそも人間の感情はそう持続しません。怒ったあと、何事もなかったようにニコニコしてりゃいいだけ。(P115)
  • まず自分で徹底して考えて、どちらを選ぶべきか結論が出るなら、占いは使わないほうがいい。徹底して考えても人知の限界を超える問題だったら、偶然に委ねるという意味で、占いを使うことには意味があると思います。要は「別れ道での棒倒し」。(P129)
  • 「人は皆寂しいんだと言う人間に限って、本人が一番寂しい」という大原則を相対化できないカウンセラーは例外なく「クズ」です。(P132)
  • 成熟社会では、かつてのような役割や権威のゲタを履けません。自分自身の正味のコミュニケーション・スキルで幸せになるしかない。そうなると、コミュニケーションの弱者が苦しいまま取り残されます。ダメなヤツは、自分をダメだと思うからコミュニケーションを踏み出せず、コミュニケーションでの成功体験が得られないので、ますますダメだと思う。自信があるヤツはコミュニケーションに踏み出せるから、成功体験を得やすくますます自信がつく。ダメなヤツはどんどんダメになり、うまくいくヤツはどんどんうまくいく。それが成熟社会の原則です。(P144)
  • 十九世紀の自由主義思想家ミルは、自由を「他人に不利益を及ばさない限り、愚行を含めて何をしてもいいこと」と定義しました。ここでの不利益とは今日的には「権利侵害」と解すべきものですが、こうした「共生を侵さぬ自由」を追求する立場がリベラリズムと呼ばれます。(P157)
  • ニーチェは意味が見つからないから良き生が送れないのでなく、良き生を送れないから意味にすがるのだと喝破しました。(P160)
  • 経済的な国力と結びついたプライドが脅かされてくると、パニくった人たちがいろんなことを主張しはじめます。「経済が落ち目になってきた今こそ日本文化の伝統を見直さねば!」なんて言うような人間が出てきたりとか。まあ無害である限りは勝手に言わせておけばいいんですが、こんな時代だからこそ、これまでになかった自由度、これまでになかった帰属の形式や尊厳の形式が許容され、摸索される傾向が強まるでしょう。このことは僕にとっては千載一遇のチャンスに感じられます。(P166)
  • 今から一〇〇年以上前に『自殺論』という本を書いたデュルケームという社会学者が、社会に犯罪者がいようが自殺者がいようが、そのこと自体は社会の常態であって、異常でも何でもないというおもしろいことを言っています。(P176)
  • 大学では映画サークルに入ったんですが、実は女子大と合同のナンパ・サークルで、東大生なら誰とでも寝るタイプの女の子がたくさんいた。(P195)
  • 僕は、女の子の見方と同じで、女の子のなかに入り込んで、女の子になって感じるんですね。僕は小学校のころから、アニメや映画のヒロインの女の子がいじめられたり拷問されたりする場面で、自分が女の子になり代わる想像をして、性的に興奮しました。今でも少しも変わりません。セックスするときも相手に生じている感覚を自分のなかで再現して興奮するタイプなんですね。だから女の子が興奮するのだったら、SM・露出・スナップ・レイプごっこ……何でもできます。そういう男を業界では「マゾ的サド」と呼ぶみたいです。(P196〜197)
  • 忘れもしない八五年の秋、当時大学院生だった僕が奥様向けの昼ワイドを見てたら、テレクラを紹介するコーナーを始まったのです。奥さんが電話すると、仕事の空き時間とかに部屋に入った営業サラリーマンなんかが電話をとって、そこから先はお互いのコミュニケーション次第でどうとでもなりますって。「これだ!」と思って、テレビの画面に映っていたテレクラの看板の電話番号をメモし、数時間後にはテレクラの個室にいました。新宿淀橋の「東京12チャンネル」という初の個室テレクラでした(テレクラ自体はその一ヶ月前にできた花園神社横のアトリエ・キーホールが最初)。会員番号は一〇〇番前後でしたから、僕は日本で一〇〇番目に個室テレクラを体験した男なんです(だから何なんだ)。(P198)
  • 数ヵ月もすると、僕の頭には、相手がこう出たら自分はどう出るといった会話パターンが徹底的に叩き込まれ、相手が喜ぶいろいろなセックスのパターンも修得しました。おもしろいように相手を乗せ、満足させられるようになると、それが、失われた自尊心の糧になりました。(P199)
  • 失恋の後遺症もあってか、愛の可能性を信じたり、愛されたいと思う自分がイヤで、自分を消去し、愛から解脱したいと思ったこともありました。だから、単なるナンパマシンやセックスマシンになりきろうとして、それに近づくほど癒されたりしたわけです。(P201)
  • 人類は長らく「意味」ではなく「強度」を生きてきました。どんな共同体にも祭儀や生贄儀式があるのはそのことに関係します。ところがキリスト教以降、あるいは少なくとも近代以降、「意味」(目的合理)が追求されるようになります。しかし人類史的には例外なのです。近代が成熟し、物質的欠乏の共有がなくなるがゆえに、夢の共有もなくなると、未来のために現在を、社会のために自分を犠牲にする「意味を追及する生き方」は廃れ、代わりに「今ここ」を楽しむ「強度を追求する生き方」が重要にならざるをえません。(P212)
  • 「所属による承認」欲しさに「長いものに巻かれろ」と同調圧力に負ける大人とは対照的に、個人的に不快なら直ちに所属を取り消す生き方が、若い世代に爆発的に増えています。でも彼らの個人的な表出行動のベースは決して近代的自我ではありません。複数の流動的な共同体に、ニ股三股四股かけて多元的に所属する連中が増えたからです。共同体Aから抜けても共同体Bがある。BがダメでもCがある。ってなわけで共同体が「代替可能なリソース」になったために、同調圧力に負けずに自己主張できるようになった。多元的所属を「好き・嫌い」とか「快・不快」といった感覚をベースに操縦する選択主体が「自己」と呼ばれるだけです。それで何の不都合も、他人の迷惑も一切ありません。(P222)
  • 各人の頭のなかに各人各様のミヤダイ、つまり「マイ・ミヤダイ」がいて、仮想問答をしているわけですね。「マイ・ミヤダイ」はメディアのなかの宮台真司を見て、各人がそれぞれに作り上げたイメージです。僕は、メディアに出ている宮台を「ミヤダイ」、現実の宮台を「みやだい」と呼んで区別しています。「ミヤダイ」は「みやだい」の操り人形みたいなもので、「みやだい」が「ミヤダイ」に人々を怒らせたり不安にさせるような言動をやらせているんですね。で、実際怒らせるような言動をさせると、ちゃんと「ミヤダイ」に対して怒ってくれるし、叩いてほしい言動をすると、ちゃんと叩いてくれる。(P224)

「バカの壁」 養老孟司 03年04月10日発行

  • ある時、評論家でキャスターのピーター・バラカン氏に「養老さん、日本人は"常識"を"雑学"のことだと思ってるいるんじゃないですかね」と言われたことがあります。私は、「そうだよ、その通りなんだ」と思わず声をあげたものです。まさにわが意を得たりというところでした。日本には、何かを「わかっている」のと雑多な知識が沢山ある、というのは別のものだということがわからない人が多すぎる。(P17〜P18)
  • 現代においては、そこまで自分たちが物を知らない、ということを疑う人がどんどんいなくなってしまった。皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることが出来るのだ」と思ってしまっています。(P19)
  • 私は林野庁環境省の懇談会に出席しました。そこでは、日本が京都議定書を実行するにあたっての方策、予算を獲得して、林に手を入れていくこと等々が話し合われた。そこで出された答申の書き出しは、「CO2増加による地球温暖化によって次のようなことが起こる」となっていました。私は「これは"CO2増加によると推測される"という風に書き直して下さい」と注文をつけた。するとたちまち官僚から反論があった。「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。しかし、科学は多数決ではないのです。(P24)
  • 「科学的事実」と「科学的推論」は別物です。温暖化でいえば、気温が上がっている、というところまでが科学的事実。その原因が炭酸ガスだ、というのは科学的推論。(P25)
  • ウィーンの科学哲学者カール・ポパーは「反証されえない理論は科学的理論ではない」と述べています。一般的に、これを「反証主義」と呼んでいます。(P25)
  • 進化論を例にとれば、「自然選択説」の危ういところも、反証が出来ないところです。「生き残った者が適者だ」と言っても、反証のしようがない。「選択されなかった種」は既に存在していないのですから。(P26)
  • 「個性」を発揮せよと求められるのは、子供に限りません。学者の世界でも同じです。学問の世界でも、やたらに個性個性と言うわりには、論文を書く場合には、必ず英語で書け、と言われる。学術論文には「材料と方法」という欄があります。論文を書くにあたっては、その言語も、「方法」の基礎のはず。ところが、学者の世界では大概、英語を共通語として、それを使うように求められる。一体どこが個性なのでしょうか。(P45)
  • 「私は、個性なんかを主張するつもりはございませんが、マニュアルさえいただければ、それに応じて何でもやって見せます」という人種。これは一見、謙虚に見えて、実は随分傲岸不遜な態度なのです。「自分は本当は他人と違うのですが、あなたがマニュアル=一般的なルールをくれれば、いかなるものであろうとも、それは私はこなしてみせましょう」という態度なのですから。こういう人は、ご自分のことを随分全人的な人間、すなわちあらゆる面でバランスがとれていて、何にでも対応できる人間だと思っているのではないでしょうか。(P46)
  • 少し考えてみればわかりますが、私たちは日々変化しています。ヘラクレイトスは「万物は流転する」と言いました。人間は寝ている間も含めて成長なり老化なりをしているのですから、変化しつづけています。昨日の寝る前の「私」と起きた後の「私」は明らかに別人ですし、去年の「私」と今年の「私」も別人のです。しかし、朝起きるたびに、生まれ変わった、という実感は湧きません。これは脳の働きによるものです。(P52〜P53)
  • 生き物というのは、どんどん変化していくシステムだけれども、情報というのはその中で止まっているものを指している。万物は流転するが、「万物は流転する」という言葉は流転しない。それはイコール情報が流転しない、ということなのです。流転しないものを情報と呼び、昔の人はそれを錯覚して真理と呼んだ。真理は動かない、不変だ、と思っていた。実はそうではなく、不変なのは情報。人間は流転する、ということを意識しなければいけない。(P54)
  • 昔の書物を読むと、人間が常に変わることと、個性ということが一致しない、という思想が繰り返し出てくる。『平家物語』の書き出しはまさにそうです。「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という文から、どういうことを読み取るべきか。鐘の音は物理学的に考えれば、いつも同じように響く。しかし、それが何故、その時々で違って聞こえてくるのか。それは、人間がひたすら変わっているからです。聞くほうの気分が違えば、鐘の音が違って聞こえる。『平家物語』の冒頭は、実はそれを言っているのです。『方丈記』の冒頭もまったく同じ。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」川がある、それは情報だから同じだけど、川を構成している水は見るたびに変わっているじゃないか。「世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし」。人間も世界もまったく同じで、万物流転である。(P55〜P56)
  • 「男子三日会わざれば刮目して待つべし」という言葉が、『三国志』のなかにあります。三日も会わなければ、人間どのくらい変わっているかわからない。だから、三日会わなかったらしっかり目を見開いて見てみろということでしょう。(P57〜58)
  • 「君たちだってガンになることがある。ガンになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」と話してみます。この話は非常にわかり易いようで、学生にも通じる。そのぐらいのイマジネーションは彼らだって持っている。その桜が違って見えた段階で、去年までどういう思いであの桜を見ていたか考えてみろ。多分、思い出せない。では、桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということに過ぎない。知るというのはそういうことなのです。知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界がまったく変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも。(P60)
  • ソシュールによると「言葉が意味しているもの」(シニフィアン)と、「言葉によって意味されるもの」(シニフィエ)、という風にそれぞれが説明されています。この表現はわかったようなわからないような物言いです。実際、ソシュールは難解だとされています。が、これまでの説明の流れで言えば、「意味しているもの」は頭の中のリンゴで、「意味されるもの」は本当に机の上にあるリンゴだと考えればよい。ソシュールも、やはり言葉の二つの側面に注目したのだ、と考えられます。(P76)
  • 日本人が好きな「世界は一つ」とか「人類みな兄弟」といったフレーズは、かつての共同体への幻想によって支えられている。なぜなら、共同体の論理を世界規模に拡大して考えている、ということなのですから。(P103)
  • 戦時中は、陸軍と海軍の両方で張り合って互いに主導権争いをしていて、その合間にアメリカと戦争していた、という笑い話があるほど。使える飛行機がもはや零戦しか残っていないという事態になっても、航空予算は陸軍と海軍で半々だった。その時も、現在、省庁間でやっている予算の取り合いみたいなことばかりやっていた。省庁あって国家無し、というのは、今に始まった話ではないのです。(P107)
  • こうした特殊な能力というのは脳を調べてもわかりません。わからない理由には、そういう調べ方が一種のタブーになっているから、という面もあります。が、最大の問題は、脳というのは非常に均質なものだということです。脳は人によってそんなに違うものではない。脳を構成しているのは、神経細胞とグリアと血管、それだけ。神経細胞というのは非常に大きな細胞です。(P127〜128)
  • よく似た例が物理学者ファインマンの著書の中にも出てきます。「一、ニ、三……」という風に時間をカウントする際、彼は本を読みながらでも正確に出来るという。それを聞いた彼の友人は、「自分は本を読みながらは出来ないが、お喋りをしながら頭の中でカウントをすることが出来る」という。嘘つけ、と思ったが本当だった。そこでこの友人に、どうやってカウントをしているのかと聞くと、「頭の中で日めくりカレンダーをめくっていった」と言ったそうです。(P138〜139)
  • 私がかかわっている保育園が、毎年一回、契約している芋畑に芋掘りに行く。ある日、そこに行ったら、隣に同じような芋畑があって、全部、葉っぱがしおれている。そこのお百姓さんに、「あれ、何ですか」と聞いたら、「お宅と同じで、幼稚園の芋掘り用の畑ですよ」「だけど、全部、しおれているじゃないですか。どうしてですか」「あそこの幼稚園用の芋は、子どもが引っ張ったらすぐに抜けるように最初から掘ってある。一遍、掘って埋め直してあるからしおれているんだよ」これでは詐偽です。(P158〜159)
  • 日本を始めとした先進国とは逆に、インドは、まったく合理化しないという方策をとっています。極端にいえば、鉛筆を落としても落とした人は拾わない。別にそれを拾う階層がいる。これは、最近の言葉でいうところの「ワークシェアリング」が行われているということです。実はカースト制というのは完全ワークシェアリングです。本来なら一人でやれるような仕事を細分化して、それぞれの階層に割り振っているのですから。インドではそういうワークシェアリングを固定してしまった。(P178)
  • 欲にはいろいろ種類がある。例えば、食欲とか性欲というのは、いったん満たされれば、とりあえず消えてしまう。これは動物だって持っている欲です。ところが、人間の脳が大きくなり、偉くなったものだから、ある種の欲は際限がないものになった。金についての欲がその典型です。キリがない。要するに、そういう欲には本能的なというか、遺伝子的な抑制がついていない。すると、この種の欲には、無理にでも何か抑制をつけなくてはいけないのかもしれない。(P184)

「モンティパイソン 人生狂騒曲」

  • 「クリムゾン 老人は荒野を目指す」
  • 終身雇用会社クリムゾン
  • 大不況に陥り、終身雇用会社では老人が奴隷のように働かされている
  • クビだと聞いて横暴だと老人は立ち上がる。会社の事務用品を使って武装する
  • 会社の側面に帆を張り、ビルが進みだす
  • 老人が高層ビルの窓に突っ込み、企業に襲いかかる
  • 「窓際族上がりの荒くれ老人どもは徹底的に戦い抜いた。たそがれが訪れる頃まで…」
  • 地球が丸いと思っていたせいで端っこから落ちてしまう
  • シーマンの元ネタっぽいのが出てくる。レストランの水槽に入ってる人面魚
  • 「人間は考えるアシなら 左足か 右足か」
  • 変なアニメに乗せて「"生きることの意味"を考えよう」
  • 医者が手術室で「ガランとしているな。機械を運んで来い」
  • 機械を運んできて「まだ何か足りないな。妊婦だ」
  • もし何をするにも気分が悪かったら「新興宗教入門ビデオをお分けします」
  • 「背が180センチなくてもいい。偏差値が70なくてもなくてもいい。服なんか着てなくていい。カトリックなら父親になれる。そのわけは、全ての精子は神聖なり。全ての精子は偉大なり。精子をムダにする事あれば主のお怒りやあらん」
  • 「"大人のオモチャ屋"でこう言えば買える。"プロテスタントだ。イボ付きコンドームをくれ"」
  • 「主よ。あなたは偉大です。あなたは巨大です。あまりのデカさにツバを飲みます。主よ、我らのおべっかを許したまえ」
  • 「主よ、我らを焼きたもうな。じか火にかけたもうな。バーベキューもご勘弁を。グツグツ煮られるのもイヤだ。煮る、炊く、焼くはお断り。まして、中華鍋で炒めるのは。水炊きにされるのもゴメンだ。あぶられるのも嫌い。フリカッセもローストもどうかやめて。釜ゆでなんてドツボ。主よ、あなたのしもべを入れたもうな、電子レンジの中に」
  • セックスの授業。黒板が変形しベッドになり実演をする
  • 銃撃戦が起こっている戦場で時計の贈り物をしまくる。手作りケーキを食う
  • 「人生の意味とは対立した意見どうしの争いそのものである」
  • 上官「広場まで行進するよりも楽しいことがあるのか?」「読みたい本が……」「勝手に読め!」
  • 「15人も殺したら国じゃ死刑になるが、ここなら勲章もんだ」
  • どの哲学者にも名前の中に"S"がある
  • いきなり家に訪問して「臓器をください」。臓器提供者カードを財布から見つけて「観念しろ」
  • 「人生に疲れ果てた時や、物事に行きづまった時、人々が愚かに見える時や、何もかもイヤになった時は、自分の立ってるこの星の事を考えよう。時速1400キロで太陽の周りの軌道を回る。太陽こそは僕らのパワーの源。太陽も僕も君も目に映る星も1日に160万キロ移動してる。天の川と呼ばれる銀河系のらせん状の腕の中で」
  • 「銀河系には1000億の星がある。端から端まで10万光年。中心の厚さは1万6000光年。地球の位置では3000光年。地球は中心から3万3000光年。銀河は2億年周期で回ってる。我々の銀河系は宇宙の中のいくつもの銀河の1つ」
  • 「宇宙はどんどん広がってる、あらゆる方向へと。光の速度秒速1900万キロで。それはこの世で最高の速度。だから自分が小さく思える時は、生まれた事の不思議を思い、宇宙のどこかの知的生命に祈れ、地球人よりはマシだ」
  • 「人生はゲームだと思ってる。勝つ時もあれば負ける時も。でも落ちぶれたってユダヤ人の金はもらわない」
  • レストランでゲロを吐きまくる。バケツを用意するウェイター
  • 罪状は"映画の中で無用の性差別ジョークを言った事"。裸の女に追い掛け回され崖から落ちる死刑
  • 投身自殺する木の葉っぱの家族
  • 「黙れ! 黙れ、やかましアメリカ人め。何かというとべらべらしゃべりおって! 私に一つ言わせろ。お前は死んでいるのだ」
  • 「黙れ! イギリス人、お前もイケ好かない奴だ。タマなしどもめ」
  • 自動車が列をなして宇宙のブラックホールに入っていく
  • 天国では毎日クリスマス
  • 「天国のクリスマス、TVでいい映画をやる。"サウンド・オブ・ミュージック"と"ジョーズ"の1・2・3。家族全員にプレゼント、化粧品から電車まで。ヘッドホン・ステレオに最新ファミコンソフト」
  • 「"生きる意味"とは"健康に気をつけ、良書を読み、全ての人と仲良くする事"」
  • 「出演して下さった魚の方々に感謝します。我々は将来、世界中の魚類がお互いに食い合うことをやめ、形や色の違いを超えて平和な魚類社会を築く事を心から望みます」

「秒速5センチメートル」

  • 「秒速5センチなんだって。サクラの花の落ちるスピード」
  • 女は栃木に引っ越したので、文通をするようになる。男も鹿児島に引っ越すことになり、その前に会いに行く
  • 黒板にデカデカと相合傘が書かれていて、ショックを受けてる女の手を引き教室を出て行く
  • 自動販売機で飲み物を買おうとして伝えなければいけないことを二週間かけて書いた手紙を風で飛ばされてしまう
  • 「時間ははっきりとした悪意をもって、僕の上をゆっくりと流れていった」
  • 意中の男と一緒に帰れることになって「もし私に犬みたいな尻尾があったら、きっと嬉しさを隠し切れずにブンブンと振ってしまったと思う。ああ、私は犬じゃなくて良かったなぁ」
  • 「わたし達はきっと千回もメールをやりとりして、たぶん心は一センチくらいしか近づけませんでした」
  • クライマックスで山崎まさよしのPVになる

「ムーミン谷の彗星」

  • ムーミン谷に黒い雨が降ってくる。植物や果実がどす黒くなっている
  • 太陽が朝から全然見えない。にょろにょろが大量に川を下っている
  • 初対面でいきなりコーヒーを要求するスナフキン
  • 天文台から戻ってくるとムーミン谷の住人が丸ごと引越しをしている
  • 「今日の夜の八時四十二分が問題なんです」
  • スナフキンのテントを使って空を飛ぶ
  • 「哲学者は死ぬことなど少しも恐れておらん」
  • 「彗星に耳があるの? 天文学者の言ったことが彗星に聞こえていないかもしれないわ」
  • 海が帰ってきた

「太陽」

  • 「お上が人間であるかもしれないと、お思いになること自体が思い過ごしでございましょう」
  • ローマ法王は何故、私が書いた手紙の返事をくれないのか」
  • 陸軍と海軍とは頭を下げる角度が違う。陸軍の方が深い
  • 一人で研究をする裕仁。記録係が寝てしまう
  • 「日本が擁護した人種平等の迎については反響は見られなかった。米国が排日移民法を成立させた大正13年に、カリフォルニア州で起きた人種差別による事件は国民の誠実な怒りと憤慨の元となった。これらの抗議の波を背景にして軍人達は立ち上がった。臣民達の共有する気分を押しとどめるのは不可能だった」
  • 「国家は人間の身体に例えると、天皇は脳に例えることができるだろうし、また、その必要がある」
  • 天皇は神である。という主張に対して私は言った。私の身体は普通の人間とほとんど変わりがない。これは閣僚全員に強い警戒心と怒りを呼び起こした」
  • 海外の女優のブロマイドを隠し持ち、眺める裕仁
  • 鶴にアインシュタインと名づけて遊んでいる米兵
  • 占領軍総司令部からチョコレートが送られる
  • 侍従「私はアラレの方が好きであります」裕仁「はい、チョコレートおしまい!」
  • 「私が写真撮影に応じると司令官に伝えたかね」「いえ……何故であります」「何故なら、闇に包まれた国民の前に太陽はやってくるだろう」
  • 裕仁チャーリー・チャップリンって呼ぶ米兵
  • 皇后に抱きつく裕仁
  • 「私はね、もう神ではない。この運命を、私は拒絶した」
  • 「録音技師はどうしたかね。私の人間宣言を録音した若者は」「自決いたしました」「でも、止めたんだろうね」「いえ」

「狂い咲きサンダーロード」

  • 冒頭に噴火する阿蘇山の映像、倒れたバイク
  • 真っ暗な画面にバイクの走行音、俳優のテロップ
  • 集会する場所が「バトルロイヤル広場」
  • 「俺たちは愛される暴走族になろうってわけよ。わかる?」
  • 君が代を歌いながら待ち伏せをしている右翼
  • 「全員殺せ! 全員カタワにしろ!」
  • 「デスマッチ工場跡」
  • 右翼団体に入って銃剣で訓練する暴走族
  • 右翼を「日の丸ちんどん屋」と呼称
  • 「スーパー右翼本部」
  • 「ごらんの通りカタワだぜ。俺に何ができるよ」
  • 全身ボコボコにされ植物状態になった人間のギブスに「植物」って書いてある
  • 「そんな身体でバイク乗れんのかよ。ブレーキどうすんだよ」ニヤリと笑って走り去る
  • バイクで走り去った後はOPに繋がる
  • 「全国の爆走少年たちへ」