「コンテンツの思想」 東浩紀 07年03月30日発行

  • (*東浩紀発言)僕は、『ほしのこえ』の最初の「世界、って言葉がある。私は中学のころまで、世界っていうのはケイタイの電波が届く場所なんだって漠然と思っていた」というミカコの台詞がセカイ系的想像力の特徴をよく表していると思っています。そういう点で、新海さんの作品は、ポスト・ガイナックス、ポスト・エヴァンゲリオンの時代におけるSFとアニメの交差点にしっかりと位置している。(P18)
  • 西島(*大介) ただ、新海さんに対して、大塚英志氏や、徳間の大野さんといった人が「素晴らしい。泣ける。青春!」とか言っているのも僕わからなくて。いや、わかるんだけど、割と的を射ていない感じがしたんです。なんで『新世紀エヴァンゲリオン』にはあんなに怒ったのに、『ほしのこえ』はぜんぜんオッケーなのかなと。(P22)
  • 西島 ガイナックスが、ギリギリで編集しなきゃならない極限まで追いつめられた状況から出てきた方法こそが、『ほしのこえ』で新海さんが自然とやっている領域なんです。その意味において、新海さんはガイナックスの正統な子供というか継承者だと思うんですよ。(P29)
  • 西島 僕の絵がカワイイのは、ジブリ的な受け入れかたをしないと面白くないと思っているからです。いつだって『となりのトトロ』を描いているつもりです。だから、新海さんの今回の『雲のむこう』が取り組んでいる問題っていうのは、たとえば文芸誌『ファウスト』が今『ファウスト』を読んでいる人たち以外に届くかということですよね。(P43)
  • 西島 で、『凹村戦争』は、一つは新海さんを始めとしたセカイ系的なものに対するアンチテーゼなんですが、もう一つに、いわゆる9・11イラク戦争前後における政治的なもののたかまりに対してのアンチでもあるんです。/いちばん大きいのは河出書房新社の『NO!!WAR』なんですけど、アレを僕はダメだと思ったんです。いいけど、ダメっていうか。僕はガイナックスと同時に、一九九〇年代のテクノシーンにもかなり感化されていますから。要するに結局のところは野田努とか三田格とかあそこらへんの人たちが、戦争が起こったときに、レイブ・パーティーやクラブで騒ぐかわりに、戦争を持ち出して一回騒いだだけだって思っています。『現代思想』とかに載った後日談とかを読むと、ああやってよかったなみたいな話に落ち着いちゃって……あれ? それで終わりなのって。(P64)
  • (*西島発言)熱気バサラの「戦争なんてくだらないぜ、俺の歌を聴け」ですね。それくらいのめちゃくちゃさをもってやらないと世界に勝てないと思っていた。(P64)
  • (*東発言)これは佐藤心さんが言っていることだけど、村上春樹が、セカイ系の小説や一部の美少女ゲームが抱える妙な思弁性を準備したのは、おそらく間違いないと思いますよ。『AIR』の麻枝准村上春樹ファンだというし、新海さんもそうだったとなると、これは実際の影響関係としても論証可能かもしれないですね。(P72〜73)
  • (*東発言)戦争は、戦場に行くまでに長い時間をかけて心の状態を変えていきます。訓練やさまざまな儀式を通じて、日常の空間を離れて戦争の世界に入っていくことを教育/洗脳していくプロセスがあるから、人々は高揚感を得られる。一方いまの戦争は、ついさっきまで日常の空間だった場所でいきなり銃をぶっ放すわけで、高揚感が生じる余地はない。かつてのように戦争の美学化が機能しないということが、いまの戦争のリアリティだと思います。/美学化が機能しないというのは、別の言いかたをすると、物語が機能しないということでもあります。かつてだったら、我が国=日本が、敵国=北朝鮮をぶちのめすという大きな物語と、2ちゃんねる的なうわさ話はまったく切り離されていて、そのあいだを移行していく過程で、「おまえは日本人であるがゆえに一兵卒として、いまここにいる」と教育していくわけだけど、いまだったら戦場に行っても平気で2ちゃんねるに書き込んでいるのではないか。そうなったときにそれでも人を殺さなければいけないとしたら、人の心はどうなるのか、興味がありますね。戦地からの手紙は文学として高く評価されるけれども、それも戦場と日常のあいだに大きな落差があるからです。これがもし、戦場から携帯メールで親に連絡できるようになったら、事態は大きく変わる。(P100)
  • (*東発言)オタクって一般には身体性が希薄だと思われているけど、それは違っていて、たとえば彼らがガンアクションを見ているとき、彼らはやはり画面の動きや銃の音に身体的に反応し、快感を得ているわけです。美少女ゲームも同じで、ヴァーチャルな彼女に呼びかけると返事が返ってくる、そのときの快感は、それがリアル彼女でもキャラクターでもあまり変わらないと思うんですよ。それは突き詰めれば、身体的快楽の問題なんです。僕はアニメやゲームの多くは身体に働きかける作品だと思っていて、スペクタクルに「おおっ」となるのも萌えキャラに「萌えー」となるのも、サッカー場に大騒ぎをするのと本質は変わらない。そこにコミュニケーションはなく、ただ快楽=身体だけがある。(P101〜102)
  • 神山(*健治) 公安の仕事も変わっていって、オウムのときに、宗教の監視に仕事内容がシフトしたわけですけど、それがさらにサブカルのいろんなところにアンテナを張っていくような時代になるんでしょうね。(P106)
  • (*神山発言)現場を見ていても、いまクリエイト行為よりは、消費行為のほうがエレガントになってしまっているのかもしれないと思っちゃうんですよ。極端な言いかたをすると、いまほど消費者に対してプロのほうが頭悪く見えていることはないんじゃないかと。数人で創ったものを数万人が見るわけだから、数人がどんなに強度を高めても相対的には負けてしまう。(P108)
  • 神山 こっちが見落としているようなことも、万の単位の人が見ていたら必ずだれかは気づくやつが出てくる。それとの闘いの厳しさをここ数年感じてます。そこでむしろ設定とかを詰めない作品のほうがいまのトレンドなのかもしれない。ある種、破綻を予定調和として楽しむとかね。(P108)
  • 神山 僕が一〇年前にI・Gに入って、初めて石川社長と話したとき、生意気にも『攻殻機動隊』は押井さんのなかで一番よくない、ぜんぜん力を入れていない気がするというようなことを言ったんです。そうしたら、社長に誉められたんですよ(笑)。しかも、「それは事実そうなので、それを直接押井守に言ったら、おまえは評価されるだろう」とまで言われたわけです。(P120)
  • (*東発言)そういえば、いまから一〇年前に『エヴァンゲリオン』が流行ったときに、ヨーロッパ人の友人と話していて、『エヴァンゲリオン』がおもしろいというので盛り上がっていたんだけれど、ところで最近僕はアスカにはまっていて二次創作とかがんがん読んでるんだよ、と言ったらものすごく引かれた(笑)。彼にしてみれば、僕がなにを言っているのかわからなかったんだと思うんです。(P135)
  • (*東発言)『動物化するポストモダン』の初期の反応は、音楽に関心ある読者さんからのものが多かったんです。彼らは、僕の議論を、テクノやヒップホップで起こっていることとして理解したわけです。実際に「あの音像はキャラが立っている」という言いかたがあるみたいですね。(P119)
  • (*伊藤剛発言)一九二〇年代のフランスでアメコミを訳したときには、吹き出しを全部消しちゃって、枠の外にセリフとかを書いたわけです。絵は絵、字は字と厳格に分けた。それくらいヨーロッパでは絵と字がごっちゃになっている状態を嫌うんですね。この話の重要なポイントは「欧米」といってももちろん一枚岩ではなく、アメリカとフランスで差異があるということです。(P141)
  • (*東発言)「乳輪問題」ですね。(『涼宮ハルヒ』シリーズに登場するキャラクター「朝比奈みくる」の乳輪の大きさ──に象徴される作品そのもので描写されないキャラクターの特徴──がはたして作家側で設定されているのかどうか、読者のあいだでどれほど共有されているのか、という問題)。あるキャラクターのさまざまな性質について、人々の想像力がどれほど一致しているのか。その等質性がいま「キャラ立ち」の重要な要素であることは間違いない。(P168)
  • 新城(*カズマ) ただ、フラッシュアニメはある意味で落書きに戻っているわけだから、『テヅカ・イズ・デッド』の論法でいけば、それはそれで正しいかもしれません。不可逆時間を切り落としても成立するのが、まさにキャラであるとするならば。裏を返せば、まんが・アニメ的リアリズム(あるいはゲーム的リアリズム)の物語性は薄くてもいいというテーゼを突き詰めていくと、じゃあ物語はなくてもいいんじゃないのか、に到達するはずですよね。/東 それは正しいけれども、萌え4コマやギャグアニメしかない世界って……。/新城 そうなんですけど、ライトノベルもその方向で進化すると、四〇〇字一エピソードの単位で基本的に完結していて、それが連なっているのをどこから読んでもいいというものになるのではないかとか、最近真剣に考えています。(P186)
  • 東 おそらく、ライトノベルがキャラを立てることに集中化しているのは、現実解釈の枠組みが多数化して、コミュニケーションが島宇宙化が進んでいるいま、必然なんです。そこでは作者は、読者がその固有名を使って、どんな物語を勝手に紡いでもいいやとあきらめている。それは近代文学の基準からすれば幼稚にしか見えないけれど、実はその背後には、僕たちは物語りは共有できないけど、キャラクターは共有できるという薄い信頼感が張りめぐらされている。それは、大袈裟に言えば、ポストモダンの倫理だと言えないこともない。キャラクター小説をめぐる議論は、そこまで拡がる可能性を秘めていると思います。(P199)

「動物化する世界の中で」 東浩紀・笠井潔 03年04月22日発行

  • (*東浩紀柄谷行人の衰弱。しかしそれは決して彼個人の問題ではありません。七〇年代以降、長いあいだ「思想」と「文学」と「政治」の言葉が接する場所で活躍し続けてきた批評家のこのあまりにも激しい凋落は、やはり、私たちの時代の何かを映している。(P16)
  • (*東)おそらくそれは、大雑把に言えば、「思想」や「文学」が伝統的に用いてきた言葉と、冷戦以降、グローバル化と情報化とポストモダン化の大波のなかで急速に変貌を遂げつつある社会的現実とのあいだの、あまりにも深く大きな乖離の意識、といったものなのではないか。平たく言えば、要は、いま、旧来の思想や文学の言葉を担ってきた人々は、現実のあまりの変容にただ絶句し、それを解釈も解読も分析もできない、深刻な失語症に陥っているのではないか。だからみんな黙ってしまったのではないか。(P17)
  • (*笠井潔学生運動時代に、商業的な左翼雑誌に思想論のような文章を書くこともありました。そうした際には、かならず文末には、所属していた組織の名称を記入するようにしていた。レーニン主義の用語でいえば、「党」による宣伝活動の一環として、文章は執筆され公表されるのだという位置づけから。いまにして思えば滑稽ですが、共産主義者の党(実体は弱小新左翼セクトにすぎないにしても)に所属しているという一点において、私と世界の繋がりは支えられていたわけです。ものを書いて発表することは、いうまでもなく社会的行為です。この社会的行為を権利づけるために、肩書きとして「評論家」でなく「××党員」と明記することが要求されていた。(P26)
  • (*笠井)ナショナリストもまた私と世界の断絶の意識をイデオロギー的に隠蔽しているわけで、僕にいわせれば戦後民主主義者の下らない同類です。(P31)
  • (*東)ついでに告白しますが、僕もまた、実は、あのとき皇居前広場に訪れ、しっかりと記帳の列に並んだ「消費者」のひとりです。同級生とふたりで出かけたのですが、僕は記帳台の手前まで行きながら結局は記帳せず、友人は偽名を書き込んでいました。そしてそのような振る舞いは、僕の記憶に間違いがなければ、当時都内の高校生のあいだでそれなりに流行していたように思います。(P38〜39)
  • (*東)二五年前、まだ幼稚園児だった僕は、この遊園地に遠足に来て迷子になったことがあります(当時はここから五キロほど離れた三鷹市に住んでいました)。母親とも引率者ともはぐれてしまった僕は、いろいろ考えた挙げ句、職員に駐車場の場所を尋ね、遊園地を出てバス乗り場に行き、遠足の終了時間を落ち着いて待つことにしました。僕としてはだれにも迷惑をかけない素晴らしいアイデアのつもりだったのですが、実際には関係者の混乱を招いただけのようで、案の定、ようやく僕を見つけた母親から誉められるどころかこっぴどく叱られてしまい、その予想外の展開に心底憤慨したことを覚えています。(P46)
  • (*笠井)評論の場合は書き終えたとき、それがどの程度のものであるのか、かなり的確に自己評価できます。自己評価が八〇点で、読者の平均的評価が六〇点か七〇点かという程度の誤差は生じうるにしても、八〇点のつもりが二〇点とか三〇点ということは、まずありません。しかし、小説の場合は違う。(中略)違ういい方をすれば、評論を批判されても反論できるけれど、小説が「面白くない」といわれた場合、作者としては返す言葉がないということでしょうか。評論の評価基準が「真」であるのにたいし、芸術とか美とかいう言葉から生じる抵抗感を抑えていえば、小説の基準が「美」だからかもしれません。(P49〜50)
  • (*笠井)徴兵拒否の座りこみ運動を、ビートルズを引用して「イエロー・サブマリン作戦」と呼んだバークレー反戦学生も、「舗石を剥がすと、そこは砂浜だった」と落書きしたフランス「五月」の反乱学生も、勤労のモダンにフーリエ的なアナキズムを対置した点では、六〇年代後半の全共闘学生と時代精神を共有していたのです。(P56)
  • (*笠井)冷戦以後の国際新秩序を掲げて湾岸戦争を指揮した前ブッシュ大統領は、イラククウェート侵攻を「戦争ではない、犯罪行為にすぎない」ものと位置づけました。国家による軍事力の行使という点で、まだしも「戦争」のように見えたクウェート侵攻さえ「犯罪」である以上、正体不明の小グループによるハイジャックと高層ビルやペンタゴンへの攻撃もまた、どう見ても「犯罪」というしかない。だからこそ、現ブッシュ大統領が「これは戦争だ」と口走った事実には、無視できない象徴的な意味があるのです。(P82〜83)
  • (*東)いま私たちが直面している敵のイメージは、ウルリヒ・ベックが『危険社会』で主題とした「リスク」に近い。ベックは、チェルノブイリから世界中にばらまかれた放射性汚染物質、食品や土壌汚染に含まれる無数の有害物質などを例に挙げて、現代社会のリスクは「知覚しえない」「化学や物理学の記号の形でしか認識されない」ものだと述べ、その知覚不可能性が人々をますます不安にするのだと指摘していました。(P96)
  • (*東)セキュリティという言葉の語源に興味をもたれるかもしれません。secureとはラテン系の言葉ですが、これは、「配慮」や「関心」を意味するcura(英語のcareの語源です)に、「ないこと」を意味する接頭辞se-が付されて作られたものだと言われています。つまりセキュリティとは、語源的には、世界への配慮や関心を必要としない状態を意味する言葉なのです。したがって、セキュリティを高めるとは、世界に対する配慮を必要としない状態を作りあげること、人々が配慮なし(se-curus)で生きる世界を作りあげることを意味しています。(P100)
  • (*東)僕のまわりではだれもハイデガーマルクスなど読んでいない。そのかわり、人々は、未来の社会デザインについてコンピュータやインターフェイスやネットワークの隠喩で語っている。そして実際に社会構造が変わりつつある。それが僕が生きている世界です。(P124〜125)
  • (*東)「スーパーフラット」や「データベース的」といったマイナーなタームに触れることが必要なのか、最低限の説明が欲しい。あるいは、もし僕の本からの引用だと言うのならば、どのようなポイントに興味が惹かれたのか、笠井さんご自身の言葉が欲しい。その前提がないまま、単に惰性でジャーゴンを使うのならば、笠井さんが批判されているポストモダニストたちと変わらない。その結果は読者の減少、固定化、そして生滅です。(P146)
  • (*東)最後に本格ミステリの話がもち出されるのも、それが笠井さんにとって「主戦場」だからという、きわめて個人的な事情が理由になっている。これは確かに率直なお言葉なのでしょうし、年齢の問題は重要だと思いますが、しかし、こうアケスケに言われてしまっては、まだ三〇代の僕がこの企画に参加し、毎月原稿を公開している意味はどこにあるのでしょう……。そのショックがあまりに大きかったので、申し訳ないのですが、続く吉本隆明江藤淳の話はほとんど印象に残りませんでした。僕としては、繰り返しますがもっと開かれた問題意識、親子ほどの年齢差のあるふたりの批評家が「いま、ここ」でこそできるアクチュアルな議論を期待していたのです。(P146〜147)
  • (*東)村上春樹は、ご存知のように、デビュー作の冒頭(第三段落)でつぎのように記しています。「それでもやはり何かを書くという段になると、いつも絶望的な気分に襲われることになった。僕に書くことのできる領域はあまりにも限られたものだったからだ。例えば象について何かが書けたとしても、象使いについては何も書けないかもしれない」(『風の歌を聴け』)。いまさら僕が指摘するまでもなく、七〇年代と八〇年代の端境期に記されたこの言葉は、まさに、大きな物語の凋落のあと、思想や文学がそれぞれ「小さな物語」のなかに自閉していく過程を鮮やかに切り取っている。(P149)
  • (*笠井)底に穴があき、船は沈もうとしているのに、無自覚な乗客は甲板で宴会をしている。穴を塞ごうとも、救命ボートを下ろそうともしない。なんと愚かな……。という類の「リアリスト」の言葉は、船や海という「現実」にリアリティを感じることのできない乗客には、いかなる意味ももちえません。(P157)
  • (*笠井)読者の前で内幕を語ることは慎むべきでしょうが、東君が編集者をふくめての打ち合わせを引きあいに出して自説を補強している以上、それも許されると判断します。八月一一日に打ち合わせたとき、第一〇信では佐藤友哉本格ミステリの方向に話を振ったが、もしも不適当だと判断するなら無視してもかまわないし、住基ネット問題など時事的問題に話を移すなら応えられる限りで応えたいと思うという意味のことを僕はいい、この点は確認されたはずです。にもかかわらず時事的問題の方向に論点を進めることなく、佐藤問題を焦点として一方的に笠井「禁治産者」宣言を下し、往復書簡の実質的な中絶を宣言するというのは一体どういうことなのか。さらにいえば、四月に電話で話したとき、東君はホームページで佐藤友哉作品を高く評価しているが、評価の内容を往復書簡で書いてもらえないだろうかと提案しました。もう忘れているのかもしれませんが、笠井が話を向けるなら対応しようと、そのとき東君は回答しています。(P161)
  • (*笠井)笠井は佐藤作品を全面否定している。佐藤作品の是非を問うことで、笠井は東に踏み絵を踏ませようとしている。笠井は本格ミステリ業界の党派争いに東を巻きこみ、利用しようとしている……。/一体、どんな思考回路からこのような妄想と邪推が生じるのか、僕は「愕然」あるいは「呆然」とします。(P162〜163)
  • (*東)したがって、これはもう、笠井さんと通り越して読者のみなさんへの言葉になってしまいますが、この往復書簡でそこまで踏み込んだ議論にもっていけなかったのは、単純に僕の力不足、というより経験不足だったと深く反省しています。もっと面白い対話になったはずなのです、私たちのこの往復書簡は!(P175)
  • (*東)ポストモダニズムへの批判の声はなぜかいまだに絶えない。たとえば、論点や背景はまったく異なりますが、数年前には、アラン・ソーカルの著書『「知」の欺瞞』が、やはりポストモダニストを批判したい論者のあいだで注目を浴びました。しかし、そういう人々の文章を読むたびに僕が疑問に思うのは、そこで批判され攻撃されている「フランス」系の「人文的」で「思弁的」な思潮など、この国のどこに存在しているのか、それは本当に社会的(社会的、といいうのがあまりに広すぎると思うのなら、論壇的でもいいし、何なら文芸誌的でもいいですが、とにかくどこかで)影響力を保っているのか、という疑問です。もしかして、いまポストモダニズム批判を展開している論者たちは、一〇年以上前の浅田彰中沢新一の幻影に向かって、無駄な弾を撃っているのではないでしょうか。少なくとも、僕にはそう思われてなりません。(P195)
  • ご多分にもれず、僕もまた吉本隆明という思想家に少なからず影響されています。われわれ(団塊の世代)の親たち(戦中派)は、第二次大戦の敗戦を境として、ほとんど全員が思想的立場や主義信条、世界認識や価値観を鋭角的に変更している。簡単にいえば「転向」している。「鬼畜米英」から「アメリカ民主主義万歳」に、という具合です。しかも「転向」の意味は切実に問われることなく、ほとんどの場合は適当にやり過ごされた。団塊の世代(むしろ、ここでは全共闘世代というほうが適当かもしれません)にとって『芸術的抵抗と挫折』や『自立の思想的根拠』の著者だけが、自分の「転向」の意味を徹底的に問い続けた思想家と見なされたわけです。(P206)

「テヅカ・イズ・デッド」 伊藤剛 05年09月25日発行

  • 「マンガ表現史の不在」には、必ず理由がある。それは、マンガ表現それ自体に埋め込まれたものだ。よって、本書の関心は必然的にマンガ表現そのものの解析と、そのためのモデルの構築に向かった。結果として見えてきたのは、手塚治虫を「起源」とすることで成立した「戦後まんが」という枠組みそれ自体が、表現史を書かせなくしているという構造であった。(P鄯)
  • 八〇年代後半以降、日本のマンガという表現ジャンルは、たいへん不透明な、見通しにくいものとしてあった。そのことがはっきり現れているのが、先の米沢の文章に代表されるような「マンガは衰退した」あるいは「つまらなくなった」という言説群である。/九〇年代半ばをピークに、これらの言説が盛んに行われたことは記憶に新しい。影響力もあった。その主張は論者によりさまざまであったが、マンガの刊行点数があまりに多くなり、またジャンルの幅が広がったことによって、ひとりの読者が全体を見通すことができなくなったことは、おおむね前提条件として共有されていた。だから「つまなくなった」のだ、と。/また、こうした言説に特徴的なのは、「何が」「どう」つまらなくなったのか、という記述がなされないままに、その状況論的な理由づけが同時に語られるという点である。これは、多くの論者が、その本来的な根拠──各々の論者が「マンガ」というジャンルに何を期待して、何が期待に反していたと思ったのか──を示すことはできず、ただ現状へのいらだちを「気分」として伝える以上のことをしていなかったということを意味する。しかし、その「気分」は、間違いなく広がりをもっていた。(P4)
  • (*読みの多様さについて)わかりやすいケースとして、「やおい」を愛好する女性を設定してみよう。彼女は『ジャンプ』が好きだ。同じクラスの男子とも回し読みをしているかもしれない。しかし、彼女にとっての『ONE PIECE』と、彼にとっての『ONE PIECE』は、もはや別の作品といっていいほどの開きがあるのではないだろうか。(P9)
  • まず「問題」とされるべきは、たとえば「ガンガン」系作品を、発行部数や内容にかかわらず、はじめから「マニア系」とカテゴライズし、そこで何が起きようとも、大勢とは関係のない、ごく一部のローカルな現象として取り合おうとしない態度であり、言説である。(中略)ある「メジャー」とされる一部のマンガ週刊誌よりも、「ガンガン」系雑誌の一部ははるかに売れていたケースもあった。ある「メジャー系」週刊誌は、二〇〇一年から〇二年にかけ、電車の中吊り広告やコンビニ置きなどの露出はあったものの、実売部数は一〇万部を切っていたという。他方、同時期の「ガンガン系」月刊誌には、三〇万部を越す実績を持つものがあった。しかし、それでも、一〇万部に満たない部数の週刊誌が「メジャー」とされ、三〇万部を越す月刊誌は「マニアック/マイナー」とされるのである。であれば、私たちがマンガについて言及する際(それは、批評や研究に限らない。日常の暮らしのなかでのおしゃべりから、出版車内の編集会議まで含まれる)、つい用いてしまう「メジャー/マイナー」の分割が、実は部数実績ではなく、表現の内実によって規定されているということになる。(P15〜16)
  • 一九六〇年代生まれより年長のマンガ論者のほとんどは、ほとんどすべての場合、ガンガン系作品群をまったく無視してきた。場合によっては、それは「なかったこと」とされる。少なくとも、「マンガ史」とは接続されていない。たとえば、『鋼の錬金術師』が、ヒットにより「発見」されたとしても、それは従来からの「少年マンガ」の枠で理解され、それ以外の「ガンガン系」とは別個の扱いをされる。これはマンガ評論という狭い業界の出来事ではない。「現場」の編集者の間においても、また一般の読者の間でも見られる。/つまり、ガンガン系の作品群・雑誌群と、それ以外のマンガの間には「断絶」が存在しているといっていい。彼らはガンガン系の存在自体は知っている。知っているが、たとえば「近年のマンガ」という主題で語る際には話題の対象から外す。それも、無意識的に除外されているようだ。もっといえばそもそも手に取ろうともしていない。さらに踏み込んだ言い方をすれば、ある一群の人々にとって、正確にはマンガをめぐる(私たちの)言説のある部分にとって、ガンガン系の作品群は「都合の悪い」ものとも考えられる。(私たち)マンガ評論はこれらの作品群をも包括してマンガを語る言葉を持っていないのである。(P18〜19)
  • 当事者である『少年ガンガン』編集長・保坂嘉弘は、次のように語る。『98コミックランキング みんなのマンガ』(監修・村上和彦、毎日新聞社、一九九八)に収録された「編集長10人、怒涛の大インタビュー!」での発言である。/うちはゲームの会社から出版を始めましたから、ゲームユーザーにゲーム感覚のコミックを提供しようというのがコンセプトですね。『ドラゴンクエスト』のコミック化はいまも続けていますし、(中略)オリジナル作品も、ゲームのリズムに合わせてテンポのいいコマ割りを心がけているんですよ(『98コミックランキング』八八頁)/(P20)
  • 単にマーケットや流通などの観点からだけでなく、表現のレヴェルでも、「ガンガン系」に代表されるような作品群には、それまでのマンガとは異なったものがあったということである。そして、それがもし決定的な変化であるとしたら、その評価はともあれ、表現史上の事件として扱われていいはずだ。(P22)
  • 七〇年代以降に生まれた若い読者の間からは「マンガ評論とは、(自分たちとは関係のない)昔のマンガについて語るものでしょう?」という声も聞かれている。これは「評論」のみならず、一般のマスコミや行政、教育などの場でマンガが語られる際にもついてまわる。そうした場では、マンガとは、五〇年代〜六〇年代に生まれた特定の世代の「読み」と受容に限定された表現であるように見える。(P31〜32)
  • 宮本(*大人)はマンガが少子化のなかで「それでも読まれている」ことを示す統計数字を示し、『ONE PIECE』の作者のもとに寄せられた読者の手紙を紹介する。それを元に、いま小学生男子の読者に『ONE PIECE』が「隅から隅まで食べつくし、何度も何度も反芻するよう」に読まれていることを指摘するのである。そして「そのように読む読者と作者との間の、幸福なコミュニケーション」の存在を示し、「尾田っち」と読者の熱いやり取りを見た後では、そもそも今までマンガ論が、「読まれ方」をいったいどの程度真剣に見つめようとしてきたというのか、と思わざるを得ない」と主張する。(P33)
  • マンガ批評誌『COMIC BOX』(ふーじょんぷろだくと)の特集「まんがは終わったか?」(一九九五年七月号)は、「つまらなくなった」言説の総決算というべきものであった。/同特集はそのタイトルとは裏腹に、七〇年代から続いた「まんが評論」のある部分の終焉を、はっきりと強く示すものだった。事実、すでに失速気味であった『COMIC BOX』誌は、この後、さらに失速した。刊行ペースが落ち、記事企画もマンガ以外のものが目立つようになっていった。また、この特集の時点ですでに、同誌編集長・才谷遼はマンガの新刊を「読めなく」なっていたと、編集部内で公言していたという。/同特集は、副次的な効果を持ってしまった。「マンガ専門誌」がこのような特集を行ったという「事実」が、一般にも伝えられ「マンガは衰退している」という気分を根拠づける役割を果たしてしまった。さらに『少年ジャンプ』の発行部数が減少を転じた(九六年)ことを論拠に、新聞メディアなども「マンガの衰退」という合唱に加える。二〇〇五年の現在でも、ともすればマンガのについてのメディアの論調には、「衰退」を前提とするものが見られる。『COMIC BOX』誌の特集は、内容においても、その影響力においても、九〇年代に猛威を振るった「つまらなくなった言説」を象徴するものといえるだろう。(P36)
  • 註2−4/「ぼくら語り」/七〇年代に興ったマンガ言説には、多く「運動」の色彩が強くあった。「ぼくら語り」と私が呼ぶものも、その一環としてとらえられる。村上知彦の以下の文章からは、当時の雰囲気を見て取ることができる。/「語られるべき「まんが」とは、おそらくぼくら自身のことなのだ。まんがについて語るということは、だから、まんがというメディアの機能を最大限に利用して、世界と繋がろうとする、意志である。まんがについて語るとき、ぼくは断固として「ぼくら」という主語を用いる。ぼくが語っているのは、まんがを通じて繋がりうる世界としての「ぼくら」についてであって、決してぼく個人の感傷や感想であってはならないと自身に言い聞かせている。(中略)まんがは、ぼくらに「ぼくら」になることを強要する。(村上和彦「すみやかに、そしてゆるやかに──まんがの可能性へのぼくらの歩み」、『別冊宝島13マンガ論争!』十四頁、宝島社、一九七九)/またマンガについて語る者に対しては、自身の人生とともにマンガ読者体験があるという「当事者性」が問われた。その閉鎖性はその初期より批判されてはいたが、マンガをめぐる言説の場は、八〇年前半以降、急速に「外部」を失い、「運動」の力点は言説からコミックマーケットのようなコミュニティへと移っていった。(P37〜38)
  • 七〇年代に興ったこの「運動」が、それまでになされてきたマンガ評論へのカウンターとして、マンガを「外部」の言説から「ぼくら」という当事者のもとに取り返すという動きとして始まったことは記しておいていいだろう。そこで、先行する、たとえば石子順造や藤川治水といった論者の仕事が参照されなくなったのである。また、「ぼくら語り」の比較的初期には見られた、分析的な枠組みを素直に摸索するような言説も、八〇年代前半を境に陰を潜めていく。結果、「自分語り」的な口当たりのよいエッセイと、あらすじの要約めいた簡単なレビュー、無邪気なファンに徹する感想、そして、書誌データや作家について、個別の評価を棚上げして列挙することを第一義とするようなものだけが「許される」こととなる。「ぼくら」は、自ら知的な枠組みを放棄し、あらゆる意味での方法論を捨てることを捨てることを自らに課したのである。結果、マンガについて語る者の多くは「自分」の言葉しか信用することができなくなり、何であれマンガについて考えるための参照項を見失ったのである。(P38〜39)
  • ぼのぼの』にいたる以前のいがらしは、表現に対してひどく自覚的であったといえる。発言は不遜ですらあり、作品は挑発的であった。たとえば性的なものや糞便などをギャグのネタにするにも、それらがなぜ「笑い」の対象とされるのかも含めたネタにするような、批評的な視線があった。そして、その批評的な姿勢は「四コママンガ」という形式そのものの解体にも向けられていった。/ここで、いがらしみきおの作家的評価から一度離れ、『ぼのぼの』を四コママンガというジャンルの流れに位置づけて見てみると、四コマというジャンルが二段階の展開を経た後に始められた作品ということができる。/まず起承転結というセオリーから離脱(いしいひさいち以降)があり、しかる後にドラマティックな出来事を語ることからの徹底した脱却がある。後者はいがらしみきおにおいては『ぼのぼの』を開始する以前、ニ年弱の休筆の直前(一九八三年頃)から盛んに試みられてきた。連載開始当初の『ぼのぼの』は、それをさらに進めたものと見ることができる。(P51)
  • 後に「物語はもう終わった」と語る作家が、自作の初回を、キャラがキャラとして成立する最低限の要素を提示することで発表したという事実。いがらしみきおは、マンガがおかれた環境に対して、自覚的にテクストを紡ぎ続けることを選択したのではないか。そのことをいまさらのように発見し、日本のマンガにおけるポストモダンの起点を、一九八六年六月の『ぼのぼの』の連載開始に求めることは、じゅうぶん可能だろう。キャラがテクストから遊離しだす時代的な指標として、『ぼのぼの』の連載開始を見ようというのである。このことは同時に、日本のマンガという表現空間への「モダン/ポストモダン」という分割の導入を意味し、日本マンガにおける「モダン」の存在こそを指し示す。(P58)
  • たとえば、あるマンガに対して「キャラはいいんだけど……」とか、「コマわりのテンポや間の取り方が……」といった「感想」がきかれる。であれば、「キャラ」、「コマ構造」、「言葉」のそれぞれがそれぞれに「快楽」や「リアリティ」を担っていると考えるのは、むしろ自然であろう。(P84)
  • (*さくまあきらは)剣豪小説などの一部の例外を除いて、文学作品が主人公の名前で記憶されることは少ない、というのである。すなわち、この一点をもって文字で書かれた「物語」との差異が強調されている。(P92)
  • あらためて「キャラ」を定義するとすれば、次のようになる。/多くの場合、比較的に簡単な線画を基本とした図象で書かれ、固有名で名指されることによって(あるいは、それを期待させることによって)、「人格・のようなもの」としての存在感を感じさせるもの/一方、「キャラクター」とは、「キャラ」の存在感を基盤として、「人格」を持った「身体」の表象として読むことができ、テクストの背後にその「人生」や「生活」を想像させるもの/と定義できる。(P95〜P97)
  • 論考の冒頭で、鈴木は『NANA』をめぐる自己の体験をこう語る。/「『NANA』を読んでいたら、やっぱり本当に好きじゃない人とは一緒にいるべきじゃないって思ったの」/というのが、彼女のさよならの言葉だった。突然の別れ話に僕は、ショックを受けるよりも前に矢沢あいの影響力ってすごいんだなぁと感心していた。(鈴木謙介「どうして恋をするだけでは幸せになれないのか。矢沢あいにおけるイノセント」特集:マンガはここにある・作家ファイル45。『ユリイカ』二〇〇三年十一月号、一〇〇頁。青土社)/(P98〜P99)
  • 「キャラ」の起源にはまだ検討の余地があると思われるが、日本においては、いちおう一九二〇年代の『正チャンの冒険』に求められる。そして、「キャラクター」の「起源」に「キャラ」があることは忘れられ、あるいは単線的な進化観によって、過去の遅れたものとして捨象された(いずれにしても忘却された)。いずれにせよ、「キャラ」から「キャラクター」への転換は、戦後、手塚治虫を中心に四〇年代後半以降、大きく進展したと考えられる。(P120)
  • さて、マンガ表現における「内面」の前面化は、第二次世界大戦後の手塚治虫において行われたと一般に考えられる。もっとも、それ以前にもその「萌芽」というべきものがあることは指摘されているが、兆候的な作品として一九四八年の『地底国の怪人』を挙げることに問題はないだろう。/『地底国の怪人』は、マンガで「近代的な悲劇」を描いた最初の作品とされ、「マンガで近代的な物語を語ること」はここからはじまったとされている。(P122)
  • 同作で語られるストーリーとは、科学少年、ジョン少年の発明による地球貫通列車の開発と、それをめぐる冒険の物語である。主人公はこのジョン少年だ。一方、ノートル大学では知能に優れたウサギが生まれ、これに改造手術を加え人間化がほどこされる。これが副主人公である耳男である。/大学から出た耳男は、ジョン少年と出会い、地球貫通列車の実験走行に加わる。地下深くには地底人の国があり、女王がいる。ジョンたちの一行は地底国に捕らわれるが、ハム・エッグを残して脱出する。/地底国の宝石に誘惑されたハム・エッグは、女王とともに地上に出て、陰謀団・黒魔団を組織して街を破壊する。その間、ジョンたちは地底に置き去りにしてきた列車の第二号の製作にとりかかるが、黒魔団の妨害に遭い、耳男の失敗の設計図を奪われてしまう。そこで生じた誤解のため、耳男はジョンたちの許を追われる。/そして、ジョンたちはどこから現れた「ルンペンのこども」の働きによって設計図を取り戻し、大学から来たという少女技師・ミミーの自己犠牲的な尽力によって第二号列車の走行実験に成功する。ミミーは全身に火傷を負い、瀕死の重症となる。実は「ルンペンのこども」もミミーも耳男の変装であることがわかり、耳男は「ジョン ぼく 人間だねぇ……」と言い残し死に至る。(P124)
  • マンガについて語られる際の「映画的」「文学的」という概念の曖昧さは、たとえば映画理論や近代文芸理論を踏まえた人々に「マンガについての語り」がいい加減で教養のないものという印象を与え続けてきたものでもある。だが、多くの「映画的」「文学的」という語の使われ方は、「映画」や「文学」にあってマンガにはないと思われていたものを、マンガの側がいかに欲望してきたかということの証左でもある。このマンガは「映画的」だからだめだ、「文学的」だからよくない、ということは決していわれない。また、そうした「映画的」「文学的」なものの「獲得」によってマンガ表現が一定の進展をしてきたこともまた、一面では事実である。さらに、マンガをめぐる素朴な「語り」に話を限れば、「映画」や「文学」それぞれの表現に個別の特性があり、各々の制度によって構築されたものであるということはほぼ顧慮されていないといっていい。そうでなければ、「マンガを文学の域に達するものにしたい」といった心証吐露はきかれないだろう。本来であれば「マンガ」と「文学」はそれぞれ別個の表現であるからだ。ここで、このように欲望されてきた「何か」とは、「映画」や「文学」が持っているとされる「リアリズムの獲得」ということはできるだろう。もう少し言葉をかえれば、映画や文学のように「リアルに」「人間を」描きたい、という欲望ということもできる。(P144〜145)
  • 単に『新宝島』などの手塚作品が「映画的」であったと指摘するのではなく、それをマンガの「起源」とする常識は、少なくとも一九六〇年代後半には組織されていた。たとえば西上ハルオは『ジュンマンガ』(一九六九、文進堂)で、まさに特集「起源」と題して『新宝島』の詳細な分析を行っている(「『新宝島』研究」)。『ジュンマンガ』はマンガ家を目指す後進の指導を目的とした冊子で、『新宝島』の分析においても、その語り口はたいへん啓蒙的なものであった。これを「起源」とすることは、六九年の時点ですでに「教養」として扱われていたのである。(P164〜165)
  • 手塚の「映画的技法」はたしかに斬新ではあったが、それはやはり、それまでになされたマンガ表現の蓄積のうえに花開いたものであった。決して、突然出現したものではない。/ではなぜ、藤子Aら当時の子供読者はここまで新鮮な衝撃を受けたのか。/宮本大人は、その理由を、戦争による切断に求める。一九四一年(昭和十六年)に内務省警保局が発した「児童読物改善ニ関スル指示要網」によって、マンガ出版の内容に制限が加えられ、さらにその後、戦争の激化とともにマンガ出版自体が困難となり、それまでの蓄積が絶たれてしまったために生じた空白に着目するのである。その「空白」のため、終戦後にはじめて「マンガ」を目にする年齢になった子供読者には、『新宝島』が突然現れたものであるかのように映ったと宮本は推測している。(P167〜168)
  • 時代劇や戦争ものなどアクションが見せ場となるジャンルの抑圧と、赤本マンガの出版そのものに対する強い風当たりにともなって、こうした表現における大胆な実験もまた抑制されざるを得なかったと見られる。/さらに、物資の不足によって、昭和十七年頃から児童向け出版物全体の出版点数や部数も減少していく。/「指示要網」は、具体的にいつ解除されたといった記録はなく、敗戦後、なし崩しに効力を失ったとみてよい。とはいえ、「指示要網」以後の十年近くを、「指示要網」の方向に沿った創作を続けてきたマンガ家たちにとって、戦争が終わったからといって即座に「指示要網」以前の奔放な表現へと回帰することは、極めて難しかったのではないか。実際、昭和二十年代前半における中央の大手雑誌に掲載されたマンガには、生活物が極めて多く、そうしたものを手がけていたのはみな「指示要網」以後の時代にマンガ家としてのスタイルを確立した世代であった。/手塚治虫は、そして『新宝島』は、そうした状況のもとに登場する。そして『新宝島』を熱狂的に支持した藤子世代は、「指示要網」以前のマンガ状況をほとんど記憶しておらず、「指示要網」以後の時代にマンガ読者としての自己形成をしていたと思われる。/こうして、『新宝島』の自動車が、絶対的な新しさの印象を、A先生に与えた理由が見えてくる。手塚は、「指示要網」以前のマンガにも当然親しんでいたと考えられ、かつ、『OH! 漫画』(大城のぼる手塚治虫松本零士晶文社、一九八二年)での発言などを見る限り、「指示要網」やそれに基づく統制そのものについては知らなかったと思われる。つまり手塚は、「指示要網」など知らないが故にそれを気にすることもなく、ある時期以降、マンガがつまらなくなったという感じを持ちながら、その不満を自ら解消するかのように着々とマンガを描いていた。そうして、いわば「指示要網」がなかったら、もっと早くに実現されていたであろうマンガ実現の進化を、ひとり自分の中で果たしていった。/そのうえで、他のマンガ家が、統制下に形成されたスタイルから抜けられずにいた時期に、統制以前を知らない読者に向かって、自分が戦時中に果たしていた進化を見せたいように見せていくことができた。(中略)『新宝島』の自動車は以上のように、その疾走が斬新きわまりないものに見える条件がうまくそろったところに走り込んできたのである。(宮本大人「マンガと乗り物〜「新宝島」とそれ以前〜」、霜月たかなか編『誕生! 手塚治虫』九五〜九七頁。朝日ソノラマ、一九九八)
  • 一般に、手塚治虫的な形式から、より「リアルな」劇画への移行は、絵柄や描線のスタイルの変化として記述されている(たとえば、夏目房之介手塚治虫の冒険』や奥田鉄人『鉄腕マンガ論』)。しかし、事態はそれだけではなく、絵柄や描線の変化に伴う、別の変化もあった。それが、ミディアム・クロース・アップや、人物の顔を枠で切るアップのようなコマの多用だったのではないか。こうした表現は、コマ=フレームという前提があってはじめて「リアル」なものとして機能する。理由は先に述べた通りである。そして、このコマ構造上の変化は、キャラ絵の等身を高くすることをたやすくする。つまり、絵柄や描線の変化とコマ構造の変化は、同時にしか起こりえない事象と考えられる。かつて、劇画家たちが丸っこい、児童マンガらしい手塚スタイルの絵柄から抜け出そうとして奮闘した営みには、絵柄だけではなく、マンガをマンガたらしめているコマ構造全体の革新も大いにあったのである。(P214)
  • 本書の問題意識は、マンガにおける「表現史」が、これまで書かれてこなかったということに一貫して向かっている。「表現史」が描かれなかったこととは、マンガが自律した表現としてとらえられてこなかったことと等しい。つまり、マンガという「表現」をそれ自体として取り上げ、その成り立ちを分析すること自体を阻害するものがあったということを意味する。(P248)
  • 小学校のころ、64〜65年ごろ、手塚治虫ってすでに古かったんですよ。あの頃、先頭を切ってた、ヒップなまんがというと、石森章太郎だったんですね。それから『少年マガジン』に劇画が流れ込んで、どんどん大人っぽいまんがが出てくるという状況だったんです。それが、七〇年代に入って『COM』で「火の鳥」を見たら、いままで古くさい、子供っぽいと思っていた手塚治虫石森章太郎と並んでて、しかもすごく面白い。それで「うわー! カッコいい!」ってなって、手塚が一気に自分のなかのトップに踊り出たんですよ。/(浦沢直樹インタビュー「まんが研究に期待すること」、『別冊ぱつ コミック・ファン12号』七四〜七五頁。雑貨社、二〇〇一年六月)/
  • いわゆる「パロディ同人誌」は七五年の『ポルの一族』(原典は萩尾望都の『ポーの一族』)を嚆矢とする見方が一般的である、その後数年のうちに広がっていった。(P106)
  • 註3−16/「キャラ盗み」/「結局似顔マンガなんだよね。昔のマンガ・ファンジンじゃこういうのはキャラ盗みって言われてバカにされたんだけど、今は逆にマネであることがわざとわかるように描いてる」(石清水了・桂木茉莉・遠藤昇「ファンジンは今!!」、『アニメック』第二三号、一六〇頁。一九八二年、遠藤昇の発言より引用)/この発言は、近年の「パロディ」には「作品としての意義」がないという文脈でなされている。ここから「キャラ盗み」という語がある程度の広がりを持っていたことが推測される。(P108)
  • 近代的リアリズムを「映画的」な方向で大幅に推し進めた大友克洋が、デビュー直前と、そのキャリアの最初期に「少女マンガ」を描いていたことは、あまり知られていない。これらの作品群は単行本に収録されておらず、大友が自らのスタイルを摸索する過程のものであるためか、作家自身が積極的に言及しないためであろう。しかし、デビュー前の作品(新人賞への投稿作である)は、後の作品と大きく異なり「誌的」と評されている。(P221〜222)
  • 少女マンガの特性として一般化されている(夏目房之介のいう)「多層的なコマ構成」の例として、萩尾望都の作品をあげる。一九七三年発表の作品『ポーの一族』からの抜粋である。/前章まで見てきたような劇画/青年マンガ群と大きく異なるのは、コマの枠線が取り払われたり、コマ同士が重なり合ったりするだけでなく、コマとコマの間にキャラ絵や文字が置かれたりすることである。/また、このような「多層的なコマ構成」では、「言葉」がまさに「誌的」な意味を持つ。それは登場人物たちの「内面」の饒舌ともいえる「語り」を呼び込む。(P228〜229)
  • 註4−35/萬画宣言/マンガが面白おかしくいだけでなく、多用なテーマが表現可能になったという認識から、「滑稽」や「おかしみ」といった意味あいを持つ「漫」を廃し、「萬」としたもの。「風のように…」『ビッグコミックスピリッツ』三五〜三六号、一九八九年八月、小学館初出。初出時は「M・A宣言」と呼称。同年一〇月『マンガ日本の歴史1』(中央公論社)への掲載時と、一九九七年三月、石ノ森章太郎45周年に向けての総合イベント「石ノ森萬画館」の際に二度改稿されている。/以下に初出時のものを引用する。/「マンガは“萬画”だ!/(1)萬画とは、森羅万象─あらゆる事物を表現できる万画です。/(2)萬画とは、老若男女、万人の嗜好に合う(愛される、親しみやすい)メディアです。/(3)萬画とは、一から萬(無限大の意あり)の物による表現形式。従って萬画は、無限大の可能性を含むメディア、とも言えるでしょう。/(4)萬画を英語風に言えば、Million Art(millionは一〇〇万ですが日本語の萬と同じく“たくさん”の意味があります)。頭文字を継ければ“M・A”です。/(5)“M・A”はまた“MA”NGAとも読めます。(P236〜237)
  • 註5−3/『追跡者』/「月刊IKKI」(小学館)連載。(二〇〇〇〜〇二)。「韮沢早」(にらさわすぐる)という知られざるマンガ家の軌跡を追い、検証するという体裁のルポルタージュ。韮沢は常に手塚治虫よりも少し早い時期に手塚とごく近い表現上の飛躍を見せたが、主に「早すぎた」という理由で作品が受け入れられず、埋もれてきたものと設定され、「韮沢作品」としてフェイクが多数制作された。竹熊のディレクションのもと、田中圭一吉田戦車浦沢直樹らマンガ家の手によるもので、手塚調、劇画調、少女マンガ、ニューウェーブ・コミックなど七〇年代までのマンガ表現を網羅したものであった。だが、そのように記述された「表現史」は、七〇年代後半のニューウェーヴ・コミック以降、急速に「マンガ」という形式そのものから離れ、あたかもそこで「マンガ表現史」が終わったかのようなものとなっている。(P255)

「アイデアのつくり方」 ジェームス・W・ヤング 88年04月08日発行

  • 私はこう結論した。つまり、アイデアの作成はフォード車の製造と同じように一定の明確な過程であるということ、アイデアの製造過程も一つの流れ作業であること、その作成に当って私たちの心理は、修得したり制御したりできる操作技術によってはたらくものであること、そして、なんであれ道具を効果的に使う場合と同じように、この技術を修練することがこれを有効に使いこなす秘訣である、ということである。(P18)
  • かりにアイデアを作成する技術というものがあると仮定しても、誰もがそれを使いこなすことができるだろうか。それとも色感とか音感、トランプのカードに対する勘などと同じように、私たちが先天的にもって生まれなければならない、何かアイデアを作り出す特別な才能というものがあるのだろうかという疑問である。イタリアのすぐれた社会学者であるパレートの『心理と社会』という本の中にこの疑問に対する一つの解答が示唆されている。パレートは、この世界の全人間は二つの主要なタイプに大別できると考えた。彼はこの本をフランス語で書いたのでこの二つのタイプをスペキュラトゥール及びランチエと名づけた。この分類によるスペキュラトゥールとは英語の<投機的>というほどの意味の言葉である。つまりザ・スペキュラトゥールとは投機的タイプの人間ということになる。このタイプの顕著な特徴は、パレートによれば、新しい組み合わせの可能性につねに夢中になっているという点である。(P20〜21)
  • パレートはこの投機的タイプの人間の中に企業家、つまり財政や経営の計画に携わる人々ばかりでなく、あらゆる種類の発明や、パレートが<政治・外交的再構成>と名づけている活動に従事する人々をも含めている。端的にいえば、(例えばわが国のルーズヴェルト大統領のように)もうこの辺で十分だとうち切ることができないで、どうすればまだこれを変革しうるかと思索するあらゆる分野の人々がすべてこのタイプに含まれているわけである。(P21〜22)
  • パレートがもう一つのタイプを説明するのに使ったザ・ランチエという言葉は英語に訳すと株主<ストックホルダー>ということになる。(中略)この種の人々は、彼の説によると、型にはまった、着実にものごとをやる、想像力に乏しい、保守的な人間で、先にいった投機的な人々によって操られる側の人々である。社会構成グループの総括的説明としてのパレートのこの学説の妥当性をどのように考えるかは別として、誰しもこの二つのタイプの人間が現実に存在することは認めるにちがいない。この人々が本来そういうタイプに生まれついたものか、それとも環境や訓育によってそういうタイプになったものかということは、ここでは問題ではない。とにかく現実にこの人々は存在する。(P22〜23)
  • どんな技術を習得する場合にも、学ぶべき大切なことはまず第一に原理であり第二に方法である。これはアイデアを作りだす技術についても同じことである。特種な断片的知識というものは全く役に立たない。それはロバート・ハチンス博士が<急速に古ぼけていく事実>と名づけたものからできている知識だからだ。原理と方法こそがすべてである。広告について、活字の名前を覚えたり、製版にはどのくらい費用がかかるとか、無数にある出版物の広告料がいくらで、原稿締切日が何日であるなどということを覚えたり、学校の先生を狼狽させるほど文法や修辞に通暁し、放送会社の催すカクテル・パーティーでひけをとらないほど多くのテレビ・アーチストの名前を覚えたり──こういうことはやろうと思えばできないことではないが、こうしたことを何もかも知っていてもなおかつ広告マンとはいえないということもある。なぜなら、広告がその機能を発揮する原理と基本的な方法がまだ理解されていないからである。(P25〜26)
  • イデア作成の基礎となる一般的原理については大切なことが二つあるように思われる。そのうちの一つには既にパレートの引用のところで触れておいた。即ち、アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもないということである。(P27〜28)
  • 関連する第二の大切な原理というのは、既存の要素を新しい一つの組み合わせに導く才能は、事物の関連性をみつけ出す才能に依存するところが大きいということである。アイデアを作成する際に私たちの心のはたらき方が最も甚だしく異なるのはこの点であると思う。個々の事実がそれぞれ分離した知識の一片にすぎないという人もいる。そうかと思うと、一つの事実が一連の知識の鎖の中の一つの環であるという人もある。この場合一つの事実は他の事実と関連性と類似性をもち、一つの事実というよりはむしろ事実の全シリーズに適用される総合的原理からの一つの引例といった方がよさそうである。(P28〜29)
  • いうまでもないが、この種の関連性が見つけられると、そこから一つの総合的原理をひきだすことができるというのがここでの問題の要点なのである。この総合的原理はそれが把握されると、新しい適用、新しい組み合わせの鍵を暗示する。そしてその成果が一つのアイデアとなるわけである。だから事実と事実の間の関連性を探ろうとする心の習性がアイデア作成には最も大切なものとなるのである。ところで、この心の習性は練磨することが可能であるということは疑いのないところである。広告マンがこの習性を修練する最も良い方法の一つは社会科学の勉強をやることだと私は言いたい。例えばヴェブレンの『有閑階級の理論』、リースマンの『孤独な群集』のような本の方が広告について書かれた大概の書物より良い本だということになるのである。(P31)
  • さて、この心の技術は五つの段階を経過してはたらく。(P33)
  • 五つの中の第一の段階は資料を収集することである。(中略)集めてこなければならない資料には二種類ある。特殊資料と一般的資料とである。広告で特殊資料というのは、製品と、それを諸君が売りたいと想定する人々についての資料である。私たちは製品と消費者について身近な知識をもつことの重要性をたえず口にするけれども実際にはめったにこの仕事をやっていない。(P33〜34)
  • この知識の習得には、モーパッサンが小説を書く勉強法としてある先輩の作家からすすめられたプロセスに似たところがある。<パリの街頭に出かけてゆきたまえ>とモーパッサンはその作家から教えられた。<そして一人のタクシーの運転手をつかまえることだ。その男には他のどの運転手ともちがったところなどないように君にはみえる。しかし君の描写によって、この男がこの世界中の他のどの運転手ともちがった一人の独自の人物にみえるようになるまで、君はこの男を研究しなければならない。>(P35〜36)
  • 私がこれまでに知り合った真にすぐれた創造的広告マンはみんなきまって二つの顕著な特徴をもっている。第一は、例えばエジプトの埋葬習慣からモダン・アートに至るまで、彼らが容易に興味を感じることのできないテーマはこの太陽の下には一つも存在しないということ。人生のすべての面が彼には魅力的なのである。第二に彼らはあらゆる方面のどんな知識でもむさぼり食う人間であったこと。広告マンはその点、牛と同じである。食べなければミルクは出ない。(P37〜P38)
  • 広告のアイデアは、製品と消費者に関する特殊知識と、人生とこの世の種々様々な出来事についての一般的知識との新しい組み合わせから生まれてくるものなのである。この過程はちょうど万華鏡の中で起こる過程に似ている。ご存知のように、万華鏡というのはデザイナー諸君が新しいパターンを探し出すのに時々使用する器具である。この万華鏡の中には色ガラスの小片が幾つも入っていて、プリズムを通してそれを眺めると、この色ガラスがあらゆる種類の幾何学的デザインを作り出すのである。クランクを廻すたびにこれらのガラスの小片は新しい関係位置にやってきて新しいパターンを現出する。万華鏡の中のこの新しい組み合わせの数学的可能性は甚だ大きく、ガラス片の数が多くなればなる程、新しい、目のさめるような組み合わせの可能性もそれだけ増大する。広告のための──あるいは、ほかのどんな──アイデアの作成もこれと同じことである。一つの広告を構成するということはつまり私たちが住んでいるこの万華鏡的世界に一つの新しいパターンを構成するということである。このパターン製造機である心の中の貯えられる世界の要素が多くなればなるほど、新しい目のさめるような組み合わせ、即ちアイデアが生まれるチャンスもそれだけ多くなる。大学の一般的教養科目の実用的な価値に疑問をいだいている広告料の学生諸君はこの辺のことをとくと考えて頂きたい。(P38〜40)
  • さて、諸君がこの資料集めという個人的な仕事、つまり第一段階での仕事を実際にやりとげたと仮定して、次に諸君の心が通りぬけねばならない段階は何か。それは、これらの資料を咀嚼する段階である。ちょうど諸君が消化しようとする食物をまず咀嚼するように。この段階は徹頭徹尾諸君の頭脳の中で進行するので、これを具体的な言葉で説明するのは前の段階よりも一層むずかしい。諸君がここでやることは集めてきた個々の資料をそれぞれ手にとって心の触覚とでもいうべきもので一つ一つ触ってみることである。一つの事実をとりあげてみる。それをあってに向けてみたりこっちに向けてみたり、ちがった光のもので眺めてみたりしてその意味を探し求める。また、二つの事実を一緒に並べてみてどうすればこの二つが噛み合うかを調べる。(P43〜44)
  • 諸君がこの段階を通りぬける時、次のような二つのことが起こる。まずちょっとした、仮の、あるいは部分的なアイデアが諸君を訪れてくる。それらを紙に記入しておくことである。どんなにとっぴに、あるいは不完全なものに思えても一切気にとめないで書きとめておきたまえ。これはこれから生まれてくる本当のアイデアの前兆なのであり、それらを言葉に書きあらわしておくことによってアイデア作成過程が前進する。(P45)
  • ここまでやってきた時、つまりまずパズルを組み合わせる努力を実際にやりとげた時、諸君は第二段階を完了して第三段階に移る準備ができたことになる。この第三の段階にやってくれば諸君はもはや直接的にはなんの努力もしないことになる。諸君は問題を全く放棄する。そしてできるだけ完全にこの問題を心の外にほうり出してしまうことである。(P46〜47)
  • だから、アイデア作成のこの第三段階に達したら、問題を完全に放棄して何でもいいから自分の想像力や感情を刺激するものに諸君の心を移すこと。音楽を聴いたり、劇場や映画に出かけたり、詩や探偵小説を読んだりすることである。(P48)
  • ほとんどすべてのアイデアがそうだが、そのアイデアを、それが実際に力を発揮しなければならない場である現実の過酷な条件とかせちがらさといったものに適合させるためには忍耐づよく種々たくさんな手をそれに加える必要がある。多くの良いアイデアが陽の目を見ずに失われてゆくのはここにおいてである。発明家と同じように、アイデアマンもこの適用段階を通過するのに必要な忍耐や実際性に欠けている場合が多々ある。しかしアイデアをこのあくせく忙しい世の中で生かしたいのなら、これは絶対にしなければならないことなのである。(P52〜53)
  • 以上がアイデアの作られる全過程ないし方法である。第一 資料集め──諸君の当面の課題のための資料と一般的知識の貯蔵をたえず豊富にすることから生まれる資料と。第二 諸君の心の中でこれらの資料に手を加えること。第三 孵化段階。そこでは諸君は意識の外で何かが自分で組み合わせの仕事をやるのにまかせる。第四 アイデアの実際上の誕生。<ユーレカ! 分かった! みつけた!>という段階。そして 第五 現実の有用性に合致させるために最終的にアイデアを具体化し、展開させる段階。(P54〜55)
  • 言葉はアイデアのシンボルなので、言葉を集めることによってアイデアを集めることもできるのである。辞書を読んでみたがストーリーらしきものなど気づかなかったというような方は辞書が短篇小説集であるという点を見落としてるにすぎないのである。(P62)
  • 「科学と方法」の中でポアンカレは豊かなアイデアにたどり着くのに必要なのは美的直観であると述べている。その美的直観をさらに分析して、ポアンカレは「これまでは無関係と思われていたものの間に関係があることを発見することが美的直観である」と言っている。これはパレートやヤングの「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである」という考えをさらに具体化したものと言ってよい。(P78)
  • 豊かなアイデアを得るには天才の美的直観が必要である。これをもたない凡人が天才にせまる方法の一つが、KJ法に代表されるカードを使うデータの組み合わせである。(P78〜79)
  • こういう場合に役立つもう一つの法則があり、「パレートの法則」と呼ばれる。このパレートは先に出てきたイタリアの社会学者・経済学者のパレートである。この法則はまた「二〇パーセント・八〇パーセント法則」とも呼ばれる。その実例はさまざまである。たとえばある問題に関係して読まなければならない本が一〇〇冊あったとして、その上位二〇パーセントにあたる本を読めば、その問題全体の八〇パーセントを理解したことになる。ある機械の故障の原因が一〇あったとして、その上位二〇パーセントにあたる二つの原因をとり除けば、全体の八〇パーセントにあたる故障が起こらなくなる。ある会社のセールスマンの中で成績のよい上位二〇パーセントが、会社全体のセールスの八〇パーセントを行っている。ミーティングでは出席者の二〇パーセントにあたる人が、全体の八〇パーセントを占める発言をするといったぐあいである。(P79〜80)
  • この二〇パーセント・八〇パーセントといった数は問題ごとに違っているだろう。しかしこの「パレートの法則」のポイントは「大事なことを先にやれ」ということである。上位二〇パーセントにあたることを的確につかめれば、「パレートの法則」によって仕事の能率が今までの四倍にもなる。こうなると問題は「何が大事なことか」を見抜くことである。(P80)
  • デカルトによれば、人々はそれぞれの人生の大目標をもっており、その実現に全力をそそいでいる。しかしその一方で、人々は日常的な生活を生きなければならない。この場合に、その日常的なことがらの一つ一つについて熟考するのは面倒なことであり、頭脳と時間の浪費でもある。こういう場合には、最も常識的で最も穏健な意見にしたがうのがよい。どうでもよいことについては中庸の道を選ぶことによって、われわれは自分自身の人生の大目標に全力を集中しえる。(P81)

「超日常体験報告」 象さんのポット 94年01月10日発行

  • 幽霊を見たとか、幽体離脱体験、ポルターガイスト現象体験、UFOを見たなどの超自然現象と思われる話から、驚異的な偶然が起きた話、変わった人の話、危うく性犯罪の犠牲者になりそうだった話、実際なってしまった話、危うく死にそうになった話など、さまざまなタイプの「超日常体験」が集まった。
  • 片方の道を見てみると、真っ直ぐに伸びている道を、雨傘をさした和服姿の女性が、半ズボンをはいた小さな子供の手を引いて歩いていた。Kさんは「こんな所、人が歩いてるんだな」と思いしばらく見ていた。しかし、すぐにおかしなことに気がついた。その二人、足は動いているが全然前に進んでいないのだ。
  • 宮野「でも偶然と言ってしまえばそれまでですけど、三人一緒にその力が現れたとなると何か理由があるんじゃないですかね」時生「そうすると盆踊りかな。盆踊りで踊ったことがその力を出すエネルギーになった」宮野「だから昔から盆踊りなんてするんですかね。お盆の時期にしても行事にしても、もともとは何か理由があるんでしょうからね」
  • そのときホテルの部屋でTさん達は女子中学生らしく、かわいい花や蝶、動物などの描いてあるカードを使った遊び、花札をして遊んでいた。途中、Tさんはトイレにいきたくなり、賭場を離れ、部屋の入り口を入ってすぐのトイレに入った。
  • 宮野「じゃあ、その友達にしか見えなかった幽霊なんでしょうかね」時生「そいつの幻覚かもね。それとも俺が実在する人間が見えなかったってことかな」宮野「そんなことあったら大変ですよ。日常生活困りますよね」時生「満員電車に乗って「なあんだ。ガラガラじゃねえか」なんて思ったりしてね。それはそれで、おもしろそうだけどね。でもそいつはいまだに、絶対にいたと確信してるからね」
  • 宮野「加富君、狂ったように勉強してたんじゃなくて、狂って勉強してたんじゃないですか」
  • 彼女の話によると、彼女の部屋の隅のほうに、スーパーマーケットのビニール袋がしばってたくさん置いてあるらしかった。それが夜中にひとりでにガサガサガサと音をたてたという。その子はなぜか直感的にMさんが来たと思ったのだ。そのときにはMさんはまだその友人の家に遊びに行ったことはなかったのだが、その夢で見た家の間取りを言っていくと、驚いたことに、その子の家の間取りと同じだったことが分かった。それから半年くらいした後に、その家に実際に行ってみると、夢で見たのとまるっきり同じで、夢で入って来た窓まで分かったのだった。
  • 宮野「魂と魂の付き合い、裸と裸の付き合いなんかより、もっと親密な付き合いって感じがしますね」
  • 時生「でもやっぱり意思の力って効果あるんだな。「そんなことあるわけないよな」って意識的に思って言ったから元に戻ったんだろうな」宮野「それじゃあ「そういうことってあるよな」なんて言ったら、完璧に幽体離脱したんでしょうね」時生「そうかもね。ふざけて天才バカボンのパパみたいに「これでいいのだ」なんて肯定的に言ったら、一生そのままになってしまったりして。永久幽体離脱
  • ある日、羽田は歯が浮いたような感じがして、歯が全部抜けるという夢を見た。すると次の日、おじいさんがぽっくり亡くなってしまった。もちろん、そのときはその夢とおじいさんの死が関係しているとは思わなかった。その二週間後、羽田はまた歯が全部折れる夢を見た。するとその二日後、今後はおばあさんが亡くなってしまったのだった。そのときも、別に何とも思わなかった。そんなことがあってから三年たった中学三年生の夏、また同じような夢を見た。すると次の日、積丹で海水浴をしていた同級生が水死してしまったのだった。
  • 今までその夢を見た後に死んだ人は、おじいさん、おばあさん、おじさん、友人三人、母親の看護婦仲間、それに学校の先生が二人──卒業してから──だという。しかし、その夢を見て知り合いが死ななかったというのが一回だけあったという。そのときは、自分の財布がなくなってしまったという。
  • 宮野「でもこの能力を意識的に使えて、行きたいところに行けたらすごいでしょうね」時生「みんながそんな能力持ったら世の中変わるだろうね」宮野「旅行会社つぶれますね」時生「それどころか鉄道、航空、なにしろ運輸関係全部だめじゃない。それに世の中からプライベートというものがなくなるんじゃない。どこかに一人でいると思っても幽体が見ていたとかね」宮野「それは困りますね。うんこしてるところなんて見られたくないですね」時生「でも犯罪とかはなくなりそうだね。幽体警察なんかできたら、ロボコップより役に立ちそうだね。どこでパトロールしてるか分からないもんね」宮野「でも幽体犯罪もでてきて大変じゃないですか」時生「犯人、犯幽体というのか、捕まえられなくて困るだろうね」
  • しかし、最後に取材した場所は違った。そこは幽霊が出るので有名な相模原外科病院、正確に言えば相模原外科病院の廃墟を取材することになった。
  • ジーコ内山という芸人が見たUFO。機体は真っ白。四つの窓に太陽の光が反射。全長は推定300〜500メートルあるいはそれ以上。音もなくゆっくり横に飛ぶが突然ワープする。
  • 宮野「本当に変わった子供だったらしいですよ。自分の膝叩いて血豆をつくったりとかしてたらしいですからね」
  • 時生「図太い神経だよね。柏木も頭のレントゲン写真撮って見せてやればよかったのにね」宮野「でもそれで本当に機械みたいなのが写っていたら怖いでしょうね」時生「そうだね。そう言われたら、東南アジアの売春街で女を買いあさった男がエイズ検査にいけないみたいに、レントゲンを撮るのもできないかもね」
  • 仕事がちょっと暇になった高野氏は、ロビーでテレビを見ていた。すると、電話がかかってきた。内線かなと思い高野氏は電話をとった。しかし、その電話はどこからかかってきたか、想像もつかないものだった。「あなたのおかけになった電話番号は現在使われていません」向こうからかかってきたにもかかわらず、電話からはテープの声が聞こえて来た。おかしいなと思い高野氏は受話器を置いた。すると十分か十五分かくらいしてまた電話がかかってきた。高野氏が受話器をとると「あなたのおかけになった電話番号は現在使われていません」内容は同じだった。
  • ある日の夜中、そのころファミリーレストランでアルバイトをしていた服部氏の弟が、午前三時ころ家に帰って来ると、一階の居間で服部氏がコタツに入ってテレビを見ていた。画面は砂の嵐だった。もちろん、湾岸戦争の米軍の活躍場面ではない。服部氏が見ているのは番組ではなかったのだ。「ザーッ」という音声が不気味に部屋に響いていた。服部氏は猿でもすぐ飽きてしまうような画面を、じっと見つめ続けていたのだった。驚いた弟は思わず叫んだ。「な、何やってんだよ。こんな夜中に」服部氏は答えた。「寝てるんだよ」弟は対応の仕方を考えたが、すぐにあきらめた。その答えには返す言葉はなかった。孤高の芸術家の仕事を邪魔してはいけない。弟はテレビに向かう兄をそのままにして、二階の自分の部屋に上がって行った。
  • 宮野「でも、無意識のうちに何かをすると言うことを、意識的にできればいいですね」時生「論理が矛盾しているような気がするけど、言いたいことは分かる。それで嫌な仕事とかは無意識のうちにやってしまえば良いと言いたいんだろ」宮野「そう。そうすればストレスなんかたまらなっくて、健康に良いんじゃないですか」
  • 恐ろしくなって服部氏は逃げた。そして思った。病院では生きてる人間の方がよっぽど怖いと。
  • 実は以前から石仏君は向かいの人は変わった人だろうと思っていた。その人の部屋のドアの外側、廊下から見える方に婦警のポスターが二枚貼ってあってあるのだ。一体、どうして婦警のポスター、それも外側に張ってあるのかと、不思議に思っていたのであった。
  • それからしばらくして加富君が表の方を見ると、店の外にトランクが円形に並べられているのに気がついた。そしてその真ん中にその男が一人で座っていた。何をしているのかとよく見ると、弁当二十個くらいを全部並べて、一口ずつ食べていたのであった。
  • 宮野「そうすると、この人は鏡の自分にケンカ売ったりする人をかっこいいと思ったんですかね。そんな人います?」時生「その人の身近な人でいたんじゃないか。その人にあこがれていたんじゃないかな。ひょっとしてオリジナルかもしれないけどね」宮野「そうじゃないですか。自分で摸索しているのかもしれないですね。新しい反応の仕方というのを」時生「芸術家なのかもしれないな」
  • 時生「でもこの話の人の場合、直接的に「私って普通じゃないの」って言うところはすごいね」宮野「具体的に何がすごいんだか全然分かりませんもんね」時生「選ばれた女って言うのがそのことの説明らしいけど」宮野「誰によって何に選ばれたんでしょうね」時生「多分、自分によって普通じゃない女に選ばれたんだろうね」
  • 宮野「そうかもね、やっぱり座っていきなり立たれたら、恥ずかしいでしょうからね。だけどなかなか「俺は俺を恥ずかしい目にあわせることが一番嫌いなんだよ」とは言えないもんね」
  • タレントの八重崎ゆう子の家に不法侵入した男は一方的に話してきた。「最近暗いぞ。どうしたんだ」なんと男は説教まで始めた。

「人の心を動かす「名言」」 石原慎太郎監修 00年08月01日発行

  • 僕の前に道はない。僕のうしろに道はできる。 高村光太郎
  • 才能とは自分自身を、自分の力を信ずることである。 ゴーリキー
  • なにもかもが失われたときにも未来だけはまだ残っている。 ボビー
  • 人間は、時に誤りを犯しながらも、足をのばして前進する。時にはすべって後ずさりすることがあるかもしれないが、完全に一歩後退することは決してない。 ジョン・スタインベック
  • 鉄も使わなければ錆び、水も用いらざれば腐敗し、あるいは寒冷にあたって凍結する。人間の知力もまたこれと同じで、絶えず用いざればついに退化する。 レオナルド・ダ・ヴィンチ
  • どんな球でも一投、これすべて創造だと思います。この球は自分にとって始めて投げる球だと思うと、なんともいえぬ感動が胸にこみあげ投球に熱がはいりました。 沢村栄治
  • 誰よりも、三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。 野口英世
  • 自分の経験は、どんなに小さくても、百万の他人のした経験よりも価値のある財産である。 レッシング
  • 起こりうる最悪の事態を直視しよう。 D・カーネギー
  • 泣いてパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない。 ゲーテ
  • すぐれた人間の大きな特徴は、不幸で、苦しい境遇にじっと耐え忍ぶこと。 ベートーヴェン
  • 空気と光と、そして友だちの愛、これだけが残っていれば、気を落とすことはない。 ゲーテ
  • すべてが失われようとも、まだ未来が残っている。 ボビー
  • 人間は毅然として、現実の運命に耐えていくべきだ。そこに一切の真理がひそんでいる。 ゴッホ
  • 苦しんで強くなることが、いかに崇高なことであるかを知れ。 ロングフェロー
  • 苦しむこともまた才能の一つである。 ドストエフスキー
  • 人はだれでも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するのだ。 山本五十六
  • いかに強敵重なるとも、ゆめゆめ退く心なかれ。 日蓮
  • 為せば成る為さねばならぬ成る業を成りぬと捨つる人のはかなき。 武田信玄
  • 行動だよ。何もしないで、ある日突然潜在能力はあらわれはしない。 勝沼精蔵
  • 闘争がきびしければ、勝利はそれだけ輝かしいのだ。 ペーン
  • これまでに激しい苦悩も味わわず、自我の大きな劣敗を経験しなかった、いわゆる打ちくだかれたことのない人間は何の役にも立たない。 ヒルティ
  • 重要なことはなにを耐えしのんだかということではなく、いかに耐えしのんだかということだ。 セネカ
  • 苦しみに耐えることは、死ぬよりも勇気がいる。 ナポレオン
  • ラソンは苦しんで走ってはいけない。楽しんで走るものだ。 中村清
  • 今の若い世代にもっとも欠けているのは「屈辱感に耐える」訓練である。この訓練が行われないで、そのまま社会から大人あつかいにされると、おのれのすること、なすことはすべて正しいと思うようになる。
  • 災難は人間の真の試金石である。 フレッチャ
  • 青春時代にさまざまな愚かさをもたなかった人間は、中年になってなんらの力をも、もたないだろう。 モルチモアー・コリンズ
  • 好運は偉大な教師である。不運はそれ以上に偉大な教師である。 ハズリット
  • くらげにだって生き甲斐がある。 映画「ライムライト」より
  • 時間が多くのことを解決してくれる。あなたの今日の悩みも解決してくれるに違いない。 D・カーネギー
  • 男がありとあらゆる理屈を並べても、女の一滴の涙にはかなわない。 ヴォルテール
  • 女はたしかに小宇宙です。女を正しく支配するには、一国を治めるほどの大才を必要とするのです。 トーマス・フード
  • 女の批評って二つきりしかないじゃないか。「まあすてき」「あなたってばかね」この二つきりだ。 三島由紀夫
  • 女、この生きている謎を解くためには、それを愛さなければならない。 アミエル
  • 一人でいるとき、女たちがどんなふうに時間をつぶすものか、もしそれを男たちが知ったとしたら、男たちはけっして結婚なんかしないだろう。 O・ヘンリー
  • 明日の朝にしようなどと言ってはならぬ。それがいかなる戦いにも勝利を得る秘訣である。 ガーフィールド
  • 決断──なすべきことをなそうと決心せよ。いったん決心したことはかならず実行にうつせ。 フランクリン
  • 仕事が楽しみならば人生は楽園だ! 仕事が義務ならば人生は地獄だ! ゴーリキー
  • 願わくば我に七難八苦を与え給え。 山中鹿之介

「若い小説家に宛てた手紙」 バルガス=リョサ 00年07月30日発行

  • トーマス・ウルフの本を読んでいて、次のような一節を見つけたのですが、この人は作家という仕事は体の中に虫が棲みついているようなものだということに気づいていました。「というのは夢、清らかで甘く、意味不明で忘却の淵に沈んでしまった少年時代の夢は永遠に失われていた。虫が私の心の中に入り込み、そこでとぐろを巻いて私の脳髄、私の精神、私の記憶から養分をとっていた。しかし、その虫もついに私自身の炎に包まれ、私の火で焼く尽くされ、長年の間私の命を蝕んできた猛々しく貪欲な野心の鉤爪でずたずたに引き裂かれたことに気がついた。しかし間もなく、脳髄、心臓、あるいは記憶の中の光り輝く細胞が夜も、昼も、毎日の目覚めの時も眠りにつくときも、永遠に光り続けていることに思い当たった。虫は私から養分をとり、光は輝き続けるだろう、どんな気晴らしも、飲食も、楽しい旅行も、女性も、その光を消すことはないだろう、死がその漆黒の闇で完全に私の生を覆い尽くすまで、その光から解放されることはないということに気がついたのだ。自分がついに作家になってしまったことに気がついた。作家としての人生を送ることになった人間の身にどのようなことが起こるのかを、ついに知ったのだ。」
  • カトブレパスというのは、足から自分の体を食い尽くして行く存在するはずのない生き物です。比喩的な意味で言えば、小説家もまた物語を想像するために足がかりになるものを探し求めて、自分の経験をかき回しているわけです。それは単に、いくつかの思い出がもたらしてくれる素材をもとに人物やエピソード、あるいは風景を再創造するためだけではないのです。作家は長く苦しいプロセスを経て小説を書いてゆくわけですが、いい作品に仕上げるためには意欲が必要であり、その意欲をかき立ててくれるものを記憶のなかに住んでいる住人のうちに捜し求めるのです。
  • 自分の生活体験を最大限に生かしてエピソードと人物を創造し、読み手が生きている世界から完全に独立した別の世界に身を置いているかのような錯覚を抱かせる、そのように語ることが作品に説得力をもたらす上で必要不可欠な条件なのです。小説が何ものにも依存せず、自立していればいるほど、説得力は強くなります。
  • フィクションと現実を分かっている距離を縮め、その境界を消し去っていくことで、読者に嘘が実は永遠に変わることのない真実であり、幻影が現実的なもののこの上もなく確かで揺るぎない描写なのだと思わせなければならないのです。これが偉大な小説のやってのけるとんでもないペテンなのです。つまり、フィクションというのは単なる虚構ではない、世界は偉大な小説が物語っているように、内面の深いところでいったん解体されたあとふたたび作り直された世界にはほかならないのだと私たちに信じ込ませなければならないのです。
  • 小説の文章が望ましい効果を上げるかどうかは、ふたつの特性にかかわっています。内的な一貫性と必然性がそれです。小説が語る物語は一貫性を欠いていてもいいのですが、小説を作り上げている言語は首尾一貫していなければなりません。そうしてはじめて、小説に一貫性が欠けているのは、一切の技巧を排して生の素材をそのまま取り出してきたからであるかのような印象を与えることができるのです。
  • まず自分の文体をさがし、見つけだすことです。すぐれた文学書をたくさん読まないと、豊かで伸びやかな言葉が身につきません。ですから、とにかく本をたくさん読んでください。自分の文体をもつというのは生やさしいことではありませんから、あなたがもっとも敬愛し、文学を愛することを教えてくれた小説家の文体をできるだけ模倣しないように心がけてください。
  • フローベルは文体に関して自分なりの理論をもっていましたが、そのことを知っておられますか? <モ・ジユスト>の理論がそれです。適切な言葉というのは、理念を過不足なく表現できる唯一の言葉のことです。作家はそれを見つけださなければならないのですが、どうすれば見つかったとわかるのでしょうか? 耳が教えてくれるのです。つまり、耳に快くひびけば、<適切な>言葉なのです。ですから、フローベルは自分の書いた文章を残らずラ・ゴラードのテストにかけたのです。彼は菩提樹の並木道まで歩いて行き、自分の書いたものを大声で読み上げたのですが、クロワッセの彼の小さな家のそばに今もその並木道<アラー・デ・ゴラード>が残っています。
  • どの小説でも、語り手は物語の空間においてなんらかの位置を占めますが、そうした関係を<空間的視点>と名づけることにしましょう。そして、それは文法の何人称を用いるかによって決定されるのですが、可能性は三つしかありません。(a)文法の一人称を用いた場合、語り手と登場人物が同一人物になりますが、この視点に立つと語り手のいる空間と語りの空間は重なり合います。(b)文法の三人称を使った場合、語り手は全知全能の存在になり、物語の中で事件が生起する空間とは別の、独立した空間に身を置いています。(c)文法の二人称「君」を用いた場合、語り手はその背後に隠れて曖昧な存在になります。物語空間の外側にいて、フィクションの中で事件を起こさせる全知全能の語り手の声になることもあれば、物語に巻き込まれたものの、小心さ、用心深さ、分裂症、あるいは単なる気まぐれで自己分裂を起こし、読者に語りかけると同時に自分自身にも語りかける語り手の声という可能性もあります。
  • 現実の時間、この時間と私たちが読んでいるフィクションの時間とが、無邪気にもつねに混同されているということをはっきりさせておかなければなりません。フィクションの時間は現実のそれとは本質的に異なる時間、もしくは異なった時の流れのことで、それはフィクションの語り手や登場人物と同様に創造された時間です。作者は小説の空間的視点と同じように、時間的視点の中にも自らの創造性と想像力をたっぷりそそぎ込みます。
  • 時間的視点とは、小説における語り手の時間と語られた内容の時間との間にある関係だということです。空間的視点と同じように、小説家が選び取ることのできる可能性は三つしかありませんし、それらの可能性は語り手が物語を語る動詞の時制によって決定されます。(a)語り手の時間と語られた内容の時間が重なり合い、ひとつになることがあります。この場合、語り手は文法的時制の現在形で語ります。(b)語り手は過去の時点から、現在もしくは未来において起こる出来事を語ることがあります。そして、最後に(c)語り手は現在、もしくは未来に身を置くことがあります。そして、(直接的あるいは間接的な)過去において起こった出来事を語るのです。
  • ブラジルとイギリスで書かれた二冊の現代小説──ジョアン・ギマランイス・ローザの『奥地』とヴァージニア・ウルフの『オーランドー』──を見ると、中心人物が突然性的転換に見舞われますが(いずれも男性から女性に変化します)、そのせいでそれまで<リアリスティック>なものに思えていた平面が空想的、幻想的な平面に変わり、物語全体が質的に変化します。いずれの場合も、転移はクレーター、物語全体の中心的な出来事になっています。
  • 語り手が物語りに説得力をもたせるために用いる別の手法がありますが、それを<チャイニーズ・ボックス>、あるいは<マトリヨーシユカ>と呼ぶことができるでしょう。民芸品には、同じ形をしたより小さなものが中に入っていて、次から次へと果てしなく出てくるものがありますが、それと同じように物語を構成してゆく手法のことを言います。
  • 『キホーテ』がシデ・ハメテ・ベネンヘリの手稿にもとづいて書かれたものだとすると、その構造はそこから派生した物語が少なくとも四つの層になっているマトリヨーシユカのようなものだと考えられます。すなまち(1)私たちにはその全体像がわからないシデ・ハメテ・ベネンヘリの手稿はいってみれば最初の箱であり、そこから直接派生した物語、もしくは子供にあたる物語というのは以下のようなものです。(2)つまり、私たちの目の前で繰り広げられるドン・キホーテとサンチョの物語がそれです。この子供にあたる物語の中に、性質の異なる孫にあたる物語(これが三つ目のチャイニーズ・ボックスということになります)が数多く含まれています。(3)サンチョが語る羊飼いの娘トラルバのところで触れたように、登場人物同士が語り合う物語がそれです。そして、(4)登場人物が読み上げる、コラージュのように組み込まれた物語があります。「愚かな物好き」や「捕虜」のように、それらを内包している物語全体と直接関わりのない形で描かれた、独立した物語がそれにあたります。
  • アーネスト・ヘミングウェイはあるところで、ものを書きはじめた頃にふと、肝心な出来事、つまり主人公が首を吊って死ぬというくだりを削除してみたらどうだろうと思いついたと語っています。以後、短編や小説においてしばしば用いることになるこの技法を、そんな風にして発見したのだ、とつづけています。ヘミングウェイのもっともすぐれた物語は意味深い沈黙、巧妙な語り手によって上手く隠蔽されたデータで満たされているといっても過言ではありません。語り手は情報を隠しますが、その隠された情報がかえって雄弁に語りかけ、読者が入手した材料をもとに仮定と推測を通して物語の空白部分を埋めて行かなければならないように想像力を刺激します。この手法を<隠されたデータ>と呼ぶことにしましょう。
  • 現代作家が派手な使い方をしているせいで近代の発明だと思われている手法、技法が実は小説の共有財産のひとつでしかない、というのも古典的な作家がすでにそうした手法、技法を自在に使いこなしていたからです。
  • 通底器というのはちがった時間、空間、あるいは現実レヴェルで起こる二つ、ないしはそれ以上のエピソードで語り手の判断によって物語全体の中で結び合わされることを言います。その場合、エピソードを隣接させたり、混ぜ合わせることによって、それらが互いに影響しあい、修正しあって、個々別々に語った場合とは違った意味、雰囲気、象徴などをつけ加えようという語り手の意図が働いています。言うまでもありませんが、この手法が機能するためには、単なる並列だけでは十分ではありません。物語の中で語り手が隣接させたり、ひとつに溶け合わせたりする二つのエピソードの間に結びつきがあるというのがもっとも重要なことです。
  • 親愛なる友よ、私が小説の形式に関してこれまで手紙に書いてきたことはきれいさっぱり忘れて、まずは思い切って小説を書きはじめてください、そう申し上げて筆を置きます。